倉澤恒夫日本画作品集 写真撮影にあたって
私と倉沢恒夫氏(私はつーちゃんと呼んでいる)は従兄弟という関係である。家が隣だったので、幼い頃からつーちゃんの家にあがり込んでは鳥や蝶、そして野山の草木など自然全般にわたっての話を聞くことが楽しみだった。
あの当時から、かれこれ五十数年の歳月が流れた。茅葺き屋根の点在する二人のふるさとは、小谷(現本城一丁目)と呼ばれる豊かな自然が広がる別天地だった。私より十四歳上のつーちゃんは、もっともっと豊かな小谷の自然と接して生きてきた。
高度成長に伴い、足利の市街に近かったこの地も田畑は埋め立てられ、家々も立て替えられ昔の面影は消え失せた。それと平行して自然を構成していた動植物、昆虫、魚類も壊滅的というほど消滅し見る影も今はない。
それでも、芽吹きの頃、取り巻く山々にはヤマツツジやトウゴクミツバツツジが咲きサシバの声が谷あいに響き合う。永遠と思えた自然は蝕まれて瀕死の状況である。
そんな中、昔から絵の上手だった、つーちゃんは、だいぶ前から心に染み込んだ自然を残そうと本格的に描き始めた。単なる美しい絵ではなく、草や木の枝一本に至るまで何度も現場で観察し、幻となった当時の心の風景を再現した。
鳴き声が聞こえなくなって久しいヨタカの姿や怪しい空模様の中、音を立てて飛び交うハリオアマツバメの姿もある。ミソサザイ・クロジといった絵に描くには地味なこれらの鳥たちを好んで描いた。つーちゃんの生き方そのものでもある。
つーちゃんの人生の後半に、心の中に存在する愛しい生き物たちを、自分の人生と共に生きた証として、また挽歌として描いた。
そんな絵の数々をこのまま保存しておくと、やがて朽ちてなくなってしまう。これらの絵を私のできる方法で(写真として)残そうと考え、この作品集は作られた。深く影響を受け、同じく自然を友として生きている私の師匠である、つーちゃんに対するせめてもの感謝の気持ちでもある。
平成23年 5月
田村直樹
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