倉澤恒夫 日本画作品集


倉澤恒夫
  
栃木縣足利市本城一丁目   旧下野國野州足利郡小谷村 昭和12年2月26日 百姓の長男として生まれる


 此の日本画の画集は従弟の田村直樹蝶兄が発起いたし、写真撮影から序文まですべて行ってくれましたことを、心から感謝いたす次第です。

 恒夫・直樹両名は山紫水明の小谷入小路の自然の中に生まれ育ち、共に山を歩き野生動植物の生態を観察したことは体に染み込んでいます。平成8年から描きためた絵を自然人の絵として見ていただければ幸いです。
                       平成23年 青嵐爽やかな5月吉日

  
  倉澤恒夫は、2021年2月4日に逝去いたしました。享年83歳






松籟   平成11年 10月28日 F30

赤松に集まるヒガラ・キクイタダキ・ゴジュウガラが描かれている





湿原に生きる   平成19年 11月1日 F30

ハンゲショウの咲く湿原にヒクイナの親子が平和に暮らしている





鉄錆の沢   平成19年 7月  F20

地味な鳥が好きだった従兄はクロジ・ミソサザイが特に好きだった。
ウグイスも描かれている
ここは、我が家の西側の山から流れ出す小沢






万葉の春   平成17年 8月  F20

山桜が咲き、ジュウニヒトエやタチツボスミレらしい花もある
ウグイスが待ちわびた春を謳歌し囀る
ツクシも頭を持ち上げている






曇天を翔る   平成14年 7月11日 F30

ハリオアマツバメが飛ぶ日は、曇天の夕刻・・・
すごいスピードで音を立てながら飛ぶ姿を語り始めたら止まらない!






冬枯れの使者   平成12年 11月17日 F30

ここは、我が家の西側の山・・・大好きなクロジ・ミソサザイがいて、
ヌルデの実を食べるジョウビタキ雄や、ベニマシコの雌雄がいる
真ん中奥にある白い幹の木はヤマナラシ






春愁   平成21年 5月 F50

山桜・トウゴクミツバツツジが咲き、シュンラン・イカリソウ
コウヤボウキも描かれる中、ヤマドリが振りかえる






曇天の使者   平成17年 11月3日 F50

怪しい空模様の中を飛ぶハリオアマツバメ





幽谷暮春   平成15年 7月 F30

カッコソウやハシリドコロ・ナルカミスミレも咲く中
大好きなミソサザイとクロジがまたもや描かれている。
ミソサザイは、トチノキの枝に止まり囀っている
桐生市鳴神山の光景と思われる






幻の岩棚   平成13年 7月 F30

ウチョウランの咲く岩場・・・ヨタカはこんなところで子育てをする。
赤松にはホオジロが止まって囀っている
ヨタカの鳴き声が絶えて久しい!






清流に生きるⅠ   平成16年 10月 F30

佐野市の清流・菊沢川・・・・ナガレコウホネやバイカモの花が咲く中を
翡翠が川面を一直線に飛ぶ
ハグロトンボも飛んでいる






我が父祖の地   平成13年 11月10日 P30

ここは、我が家のある小谷(現・本城1丁目)
右から4棟目の二階建ての茅葺屋根がわが家
従兄の家は、その右隣だが木々に隠れて見えない
毎年、トウゴクミツバツツジやヤマツツジを訪れるアゲハ類を
撮影する場所は、正面の山一番左の辺り






春愁   平成11年 7月8日 F30

シュンラン・イカリソウ・コウヤボウキ・・・・トウゴクミツバツツジにはクロジが止まり
山桜にはエナガが遊ぶ





在りし日の我が家   平成14年 11月8日 F30

わが家の隣の従兄の家
左の竹やぶの中の道を歩いて遊びに通った






丘陵暮春   平成12年 7月 F30

山桜にヤマドリ
背景の山は春爛漫の色どり






鴫立つ沢   平成18年 11月28日 F20

これはタシギだろうか
葦原から飛び立った






清流に生きるⅡ   平成22年 5月 F50

これも菊沢川の光景





原始のいとなみ   平成15年 11月 F50

大昔は、この辺にもトキがいたという
オモダカが咲く湿原にヒクイナの親子もいる
背景の山々は、わが家の西に連なる山そのもの
わが家もなかったころの本城1丁目=小谷地区






哀愁湖畔   平成16年 6月28日 F20

白樺は憧れの木だった
段咲きなのでエゾリンドウだと思う






春の夕暮れ   平成10年 6月 F10

コナラの新芽が僅かに伸びた頃が一番美しい春





幻の水辺   平成10年 8月 F10

左にアカメヤナギ   ヒツジグサ・ジュンサイの咲く水面をバンが泳ぐ





片籠の舞う谷   平成10年 2月 F10

片籠とは、カタクリのこと
わが家の奥の山(小沢の源流部)に、このような場所があったが最近出かけていない






湿原半夏   平成9年 7月 F10

ハンゲショウやイシミカワ・・・と、ヒクイナ
近くの足利高校の裏庭には小さな池があった
今では珍しいヒクイナが、いた話は何度か聞かされた






雨後の沼畔   平成9年 9月 F10

クサレダマの黄色い花 ガマやヒツジグサのある水面をバンが泳ぐ





丘陵晩秋   平成10年 9月14日 F10

リンドウ・リュウノウギクが咲き、ススキの茎にホオジロ
右の木はフモトミズナラ





チャボ   (日本鶏保存会会長 故高瀬忠雄氏に依頼され作画)

私が小学生低学年の頃、毎年足利の鑁阿寺境内で、ケージにいれた日本鶏の展示会が開催された。
その当時、朝は鶏の声で起きた時代で、白色レグホンやプリモスロックは採卵用に飼われていた。

観賞用では、チャボ・・・ショウジョウチャボ・カツラチャボ
ギンザサ・ギンスズナミ・ゴイシチャボなど覚えている。

また、声良・唐丸などの長鳴き鶏・・・東天紅・長尾鶏(尾長鶏)など美しい鶏が並んだ。
当時、珍しく思ったのが兎の毛のような烏骨鶏だった。シャモも強面で?個性的!
会場では1日中、大人に混じって餌やりや水替えなど手伝った。
従兄は鶏(チャボ)も数多く飼い、保存会の会長、故高瀬忠雄氏とともに活躍していた。
私も高瀬氏には何度もあっている。小学生の私を含めた3人で埼玉だか、東京だか遠いところまで
出掛けて、鶏を見てきた記憶が残っている。何もかも懐かしい思い出・・・。




  題名 作画年月日 大きさ・・・・・の下の短い解説は、私が絵を見て書きました。
間違いもあるかと思いますが、参考までに・・・・



倉澤恒夫日本画作品集 写真撮影にあたって

私と倉沢恒夫氏(私はつーちゃんと呼んでいる)は従兄弟という関係である。家が隣だったので、幼い頃からつーちゃんの家にあがり込んでは鳥や蝶、そして野山の草木など自然全般にわたっての話を聞くことが楽しみだった。

あの当時から、かれこれ五十数年の歳月が流れた。茅葺き屋根の点在する二人のふるさとは、小谷(現本城一丁目)と呼ばれる豊かな自然が広がる別天地だった。私より十四歳上のつーちゃんは、もっともっと豊かな小谷の自然と接して生きてきた。

 高度成長に伴い、足利の市街に近かったこの地も田畑は埋め立てられ、家々も立て替えられ昔の面影は消え失せた。それと平行して自然を構成していた動植物、昆虫、魚類も壊滅的というほど消滅し見る影も今はない。

 それでも、芽吹きの頃、取り巻く山々にはヤマツツジやトウゴクミツバツツジが咲きサシバの声が谷あいに響き合う。永遠と思えた自然は蝕まれて瀕死の状況である。

 そんな中、昔から絵の上手だった、つーちゃんは、だいぶ前から心に染み込んだ自然を残そうと本格的に描き始めた。単なる美しい絵ではなく、草や木の枝一本に至るまで何度も現場で観察し、幻となった当時の心の風景を再現した。

 鳴き声が聞こえなくなって久しいヨタカの姿や怪しい空模様の中、音を立てて飛び交うハリオアマツバメの姿もある。ミソサザイ・クロジといった絵に描くには地味なこれらの鳥たちを好んで描いた。つーちゃんの生き方そのものでもある。

 つーちゃんの人生の後半に、心の中に存在する愛しい生き物たちを、自分の人生と共に生きた証として、また挽歌として描いた。

そんな絵の数々をこのまま保存しておくと、やがて朽ちてなくなってしまう。これらの絵を私のできる方法で(写真として)残そうと考え、この作品集は作られた。深く影響を受け、同じく自然を友として生きている私の師匠である、つーちゃんに対するせめてもの感謝の気持ちでもある。

 

    平成23年 5月                                     
 田村直樹