今週の表紙


NO 1133 2023年 8/6更新 「オオゴマシジミ」(大胡麻小灰)長野県

信州に出かけた画像をアップする。オオゴマシジミの撮影では、気温の高さ(早朝から活発で開翅しない)やタイミングの悪さ(採集者と出会った)とか、出かけた時期が数日早かったとか、相性がかなり悪かった。一度、初めて通った林道で簡単に撮れたので、何度か通ったが、その後、そこではあまり見かけなくなってしまった。今回は、ゴマシジミで採集者に採られたあとだった教訓を生かし、早朝からポイントで粘った。しかし、足場は悪いし、いたところは逆光だったりで、なかなか思い通りの画像は撮れなかった。移動後、別のポイントで撮影し終わったら採集者が来た。私たちが数時間かけて撮影した蝶たちを、ものの数分で採り尽くしたかと思うと、気分は複雑である。画像はノリウツギで吸蜜する個体。
(2011年8月12日 撮影)


最新・近況報告 2023.11.16更新 (会葬礼状より抜粋)

夫は54歳で腎臓がんを発症し、手術をしましたが、2年後 肺に転移しました。月1,2回のペースでがんセンターに通院し、いろいろな抗がん剤を試みてきました。 受け身でなく自分でも調べ、主治医に積極的に提案して「オーダーメイド医療」と言っておりました。昨年末に抗がん剤が効いていないことがわかり、在宅療養に切り替えました。
約1年 訪問の医師、看護師、ヘルパーの方々にお世話になり 自分が愛した本城の自宅で過ごすことができました。療養中でも 「免疫力を高めるために」と好きなことをし 撮影やホームページ作りに励んでいました。オーロラの撮影を目的にアラスカや北欧へも出かけましたが 日常は知りつくした自分のフィールドにくり返し訪れ その時期の蝶や鳥、草花などをカメラに収めておりました。

多才で多趣味でやりたいことがたくさんあり 人生を何度もやりたいと言っていたのが心に残っています。

夫 田村直樹は、令和5年11月6日、満73歳にて生涯をとじました。これまで夫を支えてくださった皆様へ、生前受け賜りましたご厚情に深く感謝申し上げます。

ありがとうございました。
(ホームページはこのまましばらく残しておきますので引き続きお楽しみいただけましたら幸いです。)

近況報告 これ以後の文章は途中まで、知人にメールで出したもののコピーです。今までと変わった内容は・・・医療系麻薬オキノーム5mgX8+αを倍にする。オキノーム10mgX8+α その副作用としての吐き気を止める消化機能改善薬・・・・ドンペリドンを食後3回内服する。
少量だが、続けて出た真っ赤な血痰を止める止血剤・・・アドナ10mg・トラネキサム酸10mg

医療系麻薬オキシコドン20mgは一度やめてフェントステープ1mg・2mgに変えたが、やめずに復活する。(併用する)これらが追加・再検討された薬剤です。 今までの薬では弱いので、次の段階に対応できる強い薬に進む!・・・ということのようです。

私が考えるに・・・・がん患者の対応として、徐々にモルヒネ製剤(オキノーム・オキシコドン)を増やして行く・ということのようです。

 このことは、わが家に来た看護師と事務所の方との電話でのやり取りから、そう思いました。「第二段階」と話していましたので・・・。

多分痛みは、増量すれば取れるのかもしれませんが、いきなりでは難しいので様子をうかがいながら、変更・増量してゆくようです。(いきなり増量は危険?)

これまでの近況報告では、明日にでも「お終い!」というように書きましたが、最初癌センターで出た処方(モルヒネ製剤)はオプソ5mg・3包だけだったのが、吉田医院に変わって以後、オキノーム2・5mg・オキノーム5mgになり、それが2倍の10mgになり今度は10mgを8回でも、辛ければ、1時間空ければ、9回でも10回でもよいというのですから・・・。

眠気と吐き気が強くて確かに寝落ちしてしまって、もうだめかと思いました。でも目を覚ましたら生きていました・・・・・(笑)

しかし、今日の朝も4時近くまで怖くて起き続け、とうとう寝落ちしてしまいました。眠気が来て、目を一瞬でも閉じると・・・血中濃度が急激に下がり、もう息が吸えない・・・というように息苦しくなるのです。(ここでいったんペンを置く。

以下、その後の状況を書き加えます。看護師の方々といろいろ話し合いました。

オキノームを飲めば緊急時は大丈夫ということがわかり、その晩は不安なく眠れました。でもまたその次の晩から恐怖は訪れました。胸の前面、中央部部あたりが痛いと言ったら、一度やめたオキシコドンを再開し、1回20mgに倍増。1日2回合計40mg飲むこととなりました。12時過ぎても不安がひどく眠れないので、睡眠導入剤・安定剤としてロゼレム8mgとセルシン2ミリグラムを追加しました。

いよいよ飲まなければならない薬が増えだして、覚えることだけでもかなり大変!

それでも毎晩、「これでおしまい!」というようなことが起き、看護師事務所に深夜連絡を取る。夜が明けて看護師が家までやってきた。

契約当初私の好きなようにさせてほしいと申し入れた「部屋から庭が見える。パソコン作業ができる状況下で介護は行ってほしい」・・・・これに対し、「田村さん、もう介護ベッドを入れて、介護専門の部屋にしないと無理ですよ!」と言われ即手配。その前日にパソコン部屋に移動できないことがあったりして。・・・いよいよ正念場!

今日は介護保険を使うための専門員がやってきました。また、業者が来て介護ベッド・エアコンを設置しました。

パソコンは妻のノートパソコンを使用。家の中がてんやわんや。

午後になり担当医もやってきて追加の薬剤の処方として、痛み・呼吸不全に効く座薬・アンペック座薬(モルヒネ製剤)と、同じくモルヒネ製剤のフェントステープは3mgから4mgにしました。

毎晩私が「もうだめだ!」と思う理由は、私の病状の悪化スピードに、薬の対応が追い付かない・・・と看護師がつぶやいたのを聞いたからだ。

モルヒネ製剤は倍、2倍・・・といとも簡単にその量を増やす。最後までには、まだまだ増えるのだろう!早くピタリと合う量にしてほしいものだ! 「間にあわない」では、毎晩、深夜から早朝にかけての、あの苦労も水の泡! 担当医も看護師も医療の専門家だろうに!このことは、辛いが力を振り絞ってでも書きたかった。

この1週間は激動の1週間でした。まず、呼吸が整わずパソコン部屋への移動が困難となりました。ようやく妻のパソコンでホームページを続けられるかと思いましたが、病状に薬の対応が追い付かず何度も死にかけた。深夜に看護師事務所に連絡を取って生き返ったが、それでもまだ追い付かず不安と恐怖で押しつぶされそう。ここまで書いて「もう無理!」・・・とペンを置こうとしましたが、次の処方された薬が効き始めれば何とかなるかもしれない。

今は午後7時半・・・・何とか間に合いましたが、そうとう疲れました!

アップしようとしたがパソコンを換えため出来ず。12日のアップは断念。先輩に応援の依頼。不安な中就寝。

多分今の状況では、今後の更新は不可能かと思われます。皆さん、長い間ご覧いただきありがとうございました。

このまま、しばらくの間、画像その他は残しておきます。

近況報告 最近は「もうここまでか!」と思えることばかりで疲れ果てている。いくら咳き込んでも痰がほとんど出ない。息苦しくなり血中酸素濃度の値が80を割り77なんて言うのが数回あった。結果としては生き返ったが、三途の川の乗船券は購入し、乗り込む寸前にキャンセル!・・・それが毎日続いた。妻に「長い間お世話になった」というような定番の挨拶も真顔で行った。

諦めたころ、やっと「ピンクの痰」が繰り返し何度か出て生き返った。呼吸が復活すると一気に疲れが押し寄せ知らぬ間に寝てしまう、そんな繰り返し。昼近くになり移動を決断!パソコン部屋に慎重に戻る。この時は携帯用の小さなボンベを使用しながら、酸素製造装置の後を追いかける。

一度、パソコン部屋から寝室に移動する際、油断して下着を履き替えたら、一気に息が苦しくなって大騒ぎしたことがあった。1分ぐらいなら大丈夫だろう・・・が災いした。ここ数日移動は慎重にしている。

今朝は重大事件が起きた。酸素の吸入をしているチューブ(鼻の穴2個用)の先端で、かなりの圧が鼻の内側側面にかかってきたためか鼻血がタラりと垂れてきたのを暗い中で感じた。ライトをつけて見たら真っ赤!・・・ティッシュペーパーを丸めて詰めたので吸入ができなくなった。深夜で妻は寝ている。

そこで思いついたのが、鼻からの吸入ではなく、鼻も口も使うマスク型のチューブ。しかし、装着の練習をしていないため上下がわからない。形も2種類あってどちらかわからない。試行錯誤している間、うまく酸素が吸えない。パニックになり傍らの妻を起こした。妻も同じくよくわからない。説明書!・スマホでの検索・・・・慌てているから答えが見つからない。

血中濃度が下がる。手や鼻の周りは血だらけ。落ち着いて看護師に電話をかけて聞くことを思いつく。それでわかったことが2つあった。吸入酸素量は3リットル/分が上限。マスクに大きな穴のある方を使用・・・・これがわかり、何とかバタバタしながらも装着が出来た。短時間に解決しないと命が危ない・・・・そう思いながらだからバタバタ・ジタバタ・・・なんて書いたが、そう簡単ではなかった。

もう一つ困ったことは、左半分の背中というか・・・癌のある
肺裏側一帯に、かなりの激痛が常に襲う。その痛みが前面の心臓あたりまで移動した・・・このことを担当医に伝えたら、オキシコドン20mgをやめ、フェントステープ1mgとフェントステープ2mg「経皮吸収型 持続性疼痛治療剤に変えた。超薄いテープを体の2か所に、場所を変えながら貼るという。さっそく調剤薬局に出かけ、帰ってすぐに貼ってみたが、午後7時現在、痛みは減少した感じはあるが、消滅というようには効いていない。

ここ2日間、「ピンクの痰」の出が極めて少ない。多分、出ずに乾いた「ピンクの痰」が気管にへばりついて剝がれにくくなっているのだと思う。だから気管の内径はまずまず確保されている。しかし、血中酸素濃度が95前後あるのに極めて息苦しい。昨晩から今朝にかけ数値を見続け、数値は合格なのに時々不安と恐怖でいたたまれなくなる。それは、今までなら「ピンクの痰」はほぼ出尽くして眠れたのが、残された痰のために息苦しさを感じる・・・残された「ピンクの痰」がその原因だと思う。
 2023 8・4


近況報告
 先週の近況報告は、「もうだめだ!」という恐怖感で絶望的だった。今こうして書いているので、痰が出ないまま翌朝を迎えたことになる。今までならホームページを書こうとパソコンの前に座ると、書こうとすることは次々に浮かんできた。しかし、今は、頭の中の酸素が少なくなったようで、この1週間の経過が、すぐに思い出せない。1日・1日が重たすぎる。

先週末には、初めて看護師さんに頭を洗ってもらった。温水を使わずスプレーシャンプーで妻に洗ってもらうのとは違って、だいぶさっぱりした。「次、また来た日に洗ってあげます」・・・と言われたので、それを楽しみにしよう!

その2日後、月2回訪問の医師に、痰が詰まることが怖くて眠らずにいたら、とうとう寝入ってしまったと伝えたら、今まで去痰剤は2種類のみ・・・ということだったが、「これは両刃の剣です」と言い、「危険と感じたらやめてください」と言って、試しに1週間分を処方し、この日は帰った。これが23日の日曜日。

よく覚えていないのだが、妻に聞いて書いている。調剤薬局で24日に去痰剤をもらい、24日夜から飲みだした。飲み方は1日3回毎食後。25日はきちんと3回飲んだ。26日朝まで飲んで怖くてやめた。

23日からの1週間は極度の眠さと、痰がうまく出ないので起きるのが遅くなった。それでも、何とか今まで通り、自力で「コンコン」と咳き込みを何百回と続けて痰が出るよう努めた。ある時点まで、痰の色は唾の色と同じで白い。それが、何かのきっかけでピンク色の痰が出ると、急に息苦しさが減少し楽になる。その後は小量ではあるがピンク交じりの痰が出続ける。これなら何とか我慢できる。

痰のほかに、実はもう一つ二つ辛いことがある。それは癌のある左側の肩後ろから背中片面・脇にわたっての痛さがひどい。こちらはモルヒネの増量と貼るシップや塗るシップで何とかしている。それでも起き上がる際、手をつくだけで激痛が走る。
また眠る際、右耳を下に右腕を伸ばして眠る態勢(右向き)でないと、咳が止まらず一睡もできない。朝起きると耳や腕全体が、まったく痛くて動かない。真上や左向きで眠ることは、痰が「ガラガラ」動き出し気になって眠れない。結局、痛みは癌のある「左側の痛み」と、眠る姿勢からくる「右側の痛み」・・・両方が痛いということ。

さて、去痰剤追加しての変化を書くが、痰が確かによく出るようになったのだろう。痰が出ると気道が急に塞がれる。すると、オキシパルスメーターの数値が、96くらいまで上がらないと落ち着かないのに、80台を下回ったりする。怖いので酸素の量を2.5リットル/分~3.0リットル/分に増やす。やがて数値が上がってくるが、薬の効果で痰がまた動き出し詰まりそうになり、メーターの数値が再度急激に落ちる。この繰り返しが鮮明に認識できるようになったら、気持ちが落ち着かず、眠ることなどできなくなり、パニックの手前!たったの5回飲んでやめてしまった。

その後、体を1回拭いてもらった。これも「専門家は違うね!」と妻と言い合うくらい快適だった。痰の出は相変わらず、深夜から午前10時くらいまでは「白い痰」で頑張り「ピンクの痰」が出るようになってパソコン部屋に移動できるという繰り返し。1度ピンクの痰が出たら、痰が白くならないよう、わずかでもピンクが継続して出るよう、「コンコン」を頑張って続けるしかない。

このような綱渡り状態が続いているが、いつまで頑張れるか自分自身わからない。2023 7.22


近況報告
 朝4時ごろから咳き込みがひどく、痰を出そうと布団の中で試みるも、白い唾のようなものばかりでピンク色の痰が出ない。
1時間・2時間がんばっても出ない。布団から出て、ベットの端にもたれる姿勢でやっても出ない。パルスオキシメーターの数値が下がる。90を割って80台になると恐怖感で半分パニック。妻が寝ているので起こさないように気を使う。たとえ起こしても、痰の吸引は無理と決めたので、どうなるものでもない。(吸引してほしいときは看護師に連絡 30分以内に来るという)
7時頃までジタバタしていたが、疲れ果て寝込んでしまった。

目が覚めたのは、8時半ごろ。1~2分状況がつかめずにいたら、急激に気分が悪くなってきた。是が非でも痰を出さなければと、起き上がったり、加湿用スプレーを口内に噴射したりしたが、そう簡単には出やしない。いよいよ行き詰まって初めて妻に大声で叫ぶ・・・「少しそばにいてくれ!」と恐怖感のあまりそう頼んだ。9時半ごろだったか?
妻が傍らで見守る中、「オエッーオエッ」と繰り返し激しく咳き込むが出ない。「これで死ぬのか?」そんな思いが何度もよぎる。部屋の中で考えられることは、すべて行った。そのうち妻が「動いた方が良いのでは!」・・・と言ったので、酸素吸入器を移動してパソコンの部屋へ。

これまで、まったく白い唾しか出なかったのが、変化の兆しが見えた。ピンク色が混じった痰(唾にわずか混じる程度)が出始めた。10時前だったか「ピンクの痰」が小サジ1杯ほど出たことにより、揺らいでいた神経が落ち着き始めた。白い唾からピンクがかった痰に変わったが血中濃度が不安定に上下していて落ち着かない。そんな怖い状態がしばらく続いた。

朝食後の薬は食べずに飲んだ。やや落ち着いたころ食事を持ってきた。みそ汁とご飯といかの塩辛のみ。何とか無事のどを通過。少し横になろうとしたら、気分が悪い。パルスオキシメーターが90を割って80まで下がる。息苦しくて横にはなれない。せめて90は欲しい!状況を書き残そうと近況報告を書き始めた。何かしていた方がつまらないことを考えずにすむ。ここまで書いたので一旦休止。

夕食前の午後7時半ごろ、急に血中濃度の低下が起き、家族と一緒には食べられず。酸素3・0/分リットルまで増やす。その後、何とかご飯とみそ汁(卵入り)と枝豆・塩辛で食す。厳しい1日となった(金曜日)

土曜日の早朝4時から痰と戦うも、うまく出ない。これまでの疲れが重なり咳き込むにも力不足。眠ると、そのまま死んでしまう・・・という恐怖と・・・どうなろうとも眠りたい!・・・2つの思いが頭の中で繰り返しているうちに、ついに眠ってしまった。目が覚めて時計を見て焦る。痰が出きらずにいつもなら起きる時間。息苦しい・すごい眠気・食欲もない・・・今までなら気力で起きたが、「もういいや!」で、また寝入ってしまった。

昼近く尿意で目が覚め、トイレに行くことで布団から出る決心がつき、着替えずに移動。朝食後の薬だけはみな飲んだ。起きてはみたが、痰が出きっていないので不快の塊状態。果物のみ食べられた。午後1時半過ぎ、妻が「ラーメンでも」・・・というので了承!食べられたが、いまだ頭痛・背中の痛み・息苦しさ・眠気などでゴチャゴチャ。このまま何も解決せず暗くなるのを待つのは希望がなさすぎる。どうなるかわからないのなら記録に残そう・・・と思い、昨日の続きを書き始めた(午後2時半過ぎ)
痰がすべて出ていない状態で明日を迎えることに大きな不安を感じる。 人間、そう簡単には死なない! 2023 7/22



近況報告 ここ数日、自力で痰がなかなか切れず、朝目覚めてから4時間も痰を出そうと咳き込む。そんな時は不安というか絶望というか、諦めなければいけないのだろうか?・・・と落ち込む。

いままで1日に1回・・・午前中のみだったが、最近は、朝(午前中)と深夜に起こり、出るまで眠れない。その間もだらだらと、血液に染まったピンク色の痰が出続け、出すための咳き込みが続く。

もう疲れ果てて、背中は痛くなるし、寝不足とモルヒネの副作用でボーとしている。
今日も深夜に痰を出そうとし、朝起きてからも出ないので10時半まで闘ったが、スッキリ1度に全部出ない。出る痰は、こま切れ状態で今も中途半端な状況。

そのうえ、鼻が詰まって簡単な穴が2つのホースは使えず、マスク状で、鼻全体を包むような吸入器具でないと、一気に酸素濃度が落ちてしまい息苦しくなる。大慌てで妻を呼んで交換・装着。汗はかくし息苦しく不快でガッカリ。
咳込み続け午前10時半。決断して起きることとし、妻に頼んでパソコン部屋まで装置の引っ越し。わずかな朝食と、錠剤12~3錠と2袋の粉薬を飲んだ。

今日のホームページの更新は無理だろうと午前中は思っていたが、なんとかできそうなので作業開始!過去の画像を見ると、懐かしさに力が湧いてくる。こんな日のために、あのころ頑張ったのかも知れない。もう、私の命も画像の数々も等しくなった。今回、数多く載せたミドリシジミ類のように、もう少しの間輝け! 2023 7/15



近況報告
 がんに侵された気管から出てくる滲出液や血液で溢れかえっているのか、いくら咳で痰を出しても追いつかない。最後に風呂に入った時は、1~2分も洗うことはできず、窒息するような恐怖感に襲われ慌てて濡れたままで風呂場から飛び出した。
今日の朝は着替えるために立ち上がって、ズボンと半そでシャツを着ただけで身動きがとれなくなり、そのまま11時過ぎまで布団に逆戻り。
食欲はほとんどなく、無理をして少量だけどチャンスを見つけて食べている程度。痰を出すための咳き込みが1日中続く。以前は咳き込んでも少量の痰に血液が混じる程度だったが、最近はピンク色に染まった以前の何倍もの量の痰が、続けて出てきて、その都度、恐怖感に襲われる。生きた心地が全くしなくなった。もうじき、寝室からパソコンまでの移動が難しくなりそうだ。

追加・・・土曜日(8日)に訪問の担当医が来た。痰の出が悪いので来週から吸引器を使用する・・・とのこと。喉が敏感な私は、胃カメラなんてまったく無理で、歯ブラシでさえオエッ・・となることもしばしば。自分で喉の奥に挿入するなんて考えられない。やらなければ痰が詰まって死ぬだけ!とのこと。思った以上の重圧に思考が停止。精神力もここまでか!

それでも、僅かな時間を見つけてはYOU TUBEなど見ている。孫と一緒に遊ぼうと思い、明和電機製作の「オタマトーンデラックス」を購入し、練習に励みだしたが、かなりきつい(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=_I7nCZVky40  話題となった演奏

https://www.youtube.com/watch?v=pEf6oHJ91ig アルプスの少女ハイジ
https://www.youtube.com/watch?v=JlLLMljo6Gs カントリーロード

私は自慢ではないが音感が良く(笑) 子供のころ耳で聞いた曲はたいがいハーモニカで吹けた。器楽部と言うのに入り、栃木県で2位くらいになったことがある。中学・高校と音楽はオール5 オール10
なんの楽器も弾けない私(遊びでは、ウクレレ・トランペット・オカリナはやった)を、音楽の先生は不思議がって、「田村君・・・満点(25点)は一人だけよ!なんで?」・・・と不思議そうに聞かれたことがあった。失礼な!(笑)

私は歌が好きなので授業時間中は一生懸命だった。だから、小学校から高校までの音楽で習った曲は、すべて覚えている。これは95%くらいはほんとうです。(笑)

山本潤子さんとお友達になったので直接聞いたことがある・・・「私は音符が読めないけど・・・」・・・と聞いたら「プロでも読めない人はたくさんいます」・・・と言う返事。これに自信をもってコーラスを始めた。・・・50代後半くらいだったかな?
毎晩妻にキーボードでテノールのパートを引いてもらい耳で聞いて覚えた。週に2曲くらいは覚えてから練習に臨んだ。
癌が縦隔部リンパ節に転移して反回神経の麻痺がおこり、声帯の幅が広がり高音が出にくくなってコーラスはやめた。

中学生のころは登山に凝っていて、憧れのスイスの山々を思いださせる「ヨーデル」を歌いたくて、ペラペラのソノシートなどを何度も繰り返し聞き、ドイツ語をカタカナになおし、半分でたらめのヨーデルを何曲か完全に覚えた。

最初に就職した住友銀行の研修(南甲子園で行われた)の最後、仲間が全国に散らばる前に行った「何かの会」で、歌ったことがある。
東京の支店に配属が決まってからは、支店の「何かの会」で歌った。
銀行は、考えれば私と肌が合わず、すぐにやめてしまったが、「ヨーデルを歌った人」で通用することが何度かあった(笑)

自慢話が続いたが、人生の最後に「オタマトーン」を来年小学校に上がる孫と一緒に楽しみ、おじいちゃんの凄さを忘れないよう記憶にとどめておこう!・・・という作戦が始まった。
・・・急がないと!

ホームページ作りも難しくなってきた。いつ終わるかわからない。意地でもアップ・・・と思ってやってきたが怪しくなってきた。開いて更新していなかったら、最悪の状態なのだと理解してください。完全に終わったら、身内にでも顛末を書いてもらいます。(操作ができるか不安はあるが・・・)皆さん・・・元気でお過ごしください。



猛暑の中・地元で

撮影  佐野市  2011年 8月上旬~一部下旬

足利周辺のポイントまわりをしても、気温が高すぎて蝶の姿が見あたらない。そんな中でオオムラサキの林では、相変わらずの光景が展開していた。だいぶ前の画像ではあるが、私個人の記録として残すのが撮影目的なので、過ぎ去った夏の里山の風情をもう一度確認してみた。




スミナガシ

 この日、私が立ち寄った時間には、すでに宇都宮からA氏が訪れていた。
私のフィールドでは、いままで撮影者には滅多に出会わなかった。
北関東山地も訪れる方が今後増えそうである。






スミナガシ

この日は夕方6時過ぎまでA氏と2人で、
多くの蝶たちが訪れる様子に
感動しながら撮影を続けた。






スミナガシ


その後も、立ち寄ったらまたA氏に出会った。
しかし、樹液の出が悪くなったためか、
前回の半分も蝶の姿は見られなかった。
至る所を滑空するオオムラサキ・・・・長い間、観察してきたが
今回アップしたこの日の数が最高の日であった。






スミナガシ

この辺でスミナガシがみられる林は
わずか2カ所しか知らない。






スミナガシ

赤いストローを意識して・・・。





スミナガシ

幼虫は足利市でも見つかるが、
樹液の出るクヌギが道路脇などに
ほとんど残っていないので、
市内では成虫に出会う確率はないに等しい。







スミナガシ

そんなわけで、地元(佐野市も含める)で
見つけると数多く撮影してしまう!






スミナガシ

この一枚と下の葉上の画像は8月24日に撮影。
意外とまだ新鮮な個体だった。






スミナガシ

一度飛び立つと近くで休憩?して、
また樹液に戻る。






スミナガシ

オオムラサキやコシロシタバの止まるクヌギに
スミナガシが飛来した。










オオムラサキ

まずまずの個体がにらめっこしていた。
(求愛または交尾拒否)






オオムラサキ

あちこちでこんな場面が見られた。





オオムラサキ

こちらの雌は痛んでいた。









オオムラサキ

数が多ければ、まぐれ当たりも多くなる?





オオムラサキ

今まででは、画面に飛翔場面に翅表が入ることは
かなり少なかった。






オオムラサキ

こんな程度の画像がたくさん残った。





オオムラサキ

新鮮な発生初期よりも、少し季節が進んだ頃の方が
数も多くなり、様々な生態が観察できる。






オオムラサキ

似たような画像だが・・・。





オオムラサキ

こんな動きのある場面が撮れた。
いずれもまぐれ当たりで、撮ってみるまで、
どう撮れているかわからない。






オオムラサキ

これで飛翔はおしまい。









オオムラサキ

雌の井戸端会議?
ストロボをたくと雌もこんなに紫色に写ることがある。






オオムラサキ

みんな雌です。交尾したくて雄が狙っているが
雌は相手にしない。










オオムラサキ

傷んではいるが、低い草の上で
開翅したので記念に一枚。






オオムラサキ

雄が1頭いてくれ、開翅してくれれば合格









大繁盛

キシタバの黄色が見えたので・・・。





コシロシタバ

後翅の白い斑紋が見えた。





オニベニシタバ

チラッと紅色がのぞけた。(ピントが甘い)









ホソバセセリ

毎年観察できる足利のある場所に、
3~4回足を運んだが見つからず
今年はあきらめていたが、意外なところで
二頭が求愛行動をしていた。
しかし、その場面は撮れずガッカリ!






ホソバセセリ

色あせてはいるが、
自分のフィールドで見つかり一安心。






ホソバセセリ

しばらくこの場所にいてくれた。





ホソバセセリ

いろいろな角度から撮影した。





ホソバセセリ

今までここでは一度も見かけたことはなかった。





ホソバセセリ

また来年も出会えるだろうか?





ホソバセセリ

出会えてよかった! 良かった!









キツネノカミソリ

咲き具合は最高だが、この日は気温が高すぎて
いつもアゲハチョウ類の集まるポイントを回ったが
何一つ撮影できなかった。






キツネノカミソリ

8月24日になったが、まだ新鮮な花が多い。
昔、この花に無数のモンキアゲハが
代わる代わる飛来したことがあったが、
そのような光景は、最近ほとんど見られない。






キツネノカミソリ

夢のようだった光景を思い出して毎年通っているが
この日も往復立ち寄っては見たが、何もいなかった。






コガネグモの巣

蝶が待てども飛来しないので、蜘蛛の巣でも・・・。





コガネグモの巣

蜘蛛の巣の下にある白い帯は
「隠れ帯」と呼ばれる。
生きるためとは言え、
良くも手間暇かけて繊細な巣を作るものだ。






コガネグモの巣

横顔しか撮れない。前面から撮りたかったが、
溝があって行けない。




信州撮影行 Ⅰ

撮影  長野県  2011年 8月中旬




ゴマシジミ

何とか見つけホッとした。





ゴマシジミ

この雌をしばらく追いかけた。





ゴマシジミ

気温が高いので似たような画像ばかり・・・。





ゴマシジミ

それでもせっかく来たのだから、何枚も撮った。





ゴマシジミ

気まぐれに一度だけ開翅してくれた。
早朝に来られればチャンスは多いだろうが無理!






ゴマシジミ

アカトンボが入った。





ゴマシジミ

ただひたすら見つけては止まった姿の
撮影を繰り返す。
採集されていなければ、雌に絡む雄の姿が
けっこう簡単に撮れるのだが・・・残念!










ゴマシジミ

小刻みにワレモコウの花を移動する個体を見つけ
飛翔を撮影するも、
広角や魚眼でなかったので深度が撮れず
ハズレばかり!






ゴマシジミ

これが精一杯!





ゴマシジミ

横顔の飛翔。





ゴマシジミ

これは雄のようだ。





ゴマシジミ

上の個体が飛んだところ。









ゴマシジミ雄

間違いなく雄だった。





ゴマシジミ雄

その証拠は、このピンぼけ画像!
青い雄で美しかった。
とっさにシャッターを切ったが、
茂みに逃げ去られアウト!










スジボソヤマキチョウ

いつもヤマキチョウに出会う八ヶ岳のポイントでは
空振りに終わった。スジボソで我慢!?






アサギマダラ

アサギマダラも撮ってあげよう!





アサギマダラ

飛び立つ瞬間だったか、止まる瞬間だったか忘れた。





アサギマダラ

こんな格好で撮れた。





ヒメキマダラヒカゲ

どこへ行っても、たくさん出会ったが
ノリウツギに止まったので一枚記念に・・・。






ゴイシシジミ

オオゴマシジミのいる林道で、友人が「いたー!」
と叫んだので見つけてみればゴイシシジミ。
確かに、小さいが裏側の模様は似ている。






キバネセセリ

もう時期が遅いので、
新鮮な個体は少なかった。






キバネセセリ

イケマの花やリョウブの花にたくさん来ていた。









トモエソウ

花びらが巴マークのように曲がっている。





イヌゴマ

この時期、あちこちで見かけた。





コオニユリ

明るい高原の花。





ソバナ

林道脇の少し湿った所に多い。





ソバナ

爽やかなブルーが美しい!





グシグロセンノウ

八ヶ岳にも乗鞍周辺にも多かった。





ワレモコウ

ゴマシジミは止まっていないが、赤とんぼが止まっている。





ヤドリギ

白樺とヤドリギの組み合わせ。





オヤマボクチ

ハバヤマボクチと似ているが
葉がギザギザしていないので
オヤマボクチと判断。






オヤマボクチ

似た種類に
ハバヤマボクチやキクバヤマボクチがある。
葉の形や花の付き方も他とは違う。





次のページに  信州撮影行 Ⅱ へ


このページは、毎週土曜日の深夜に更新する予定でいます。
一週間後には、すべて削除されますのでお見逃しなく!




蝶・花・鳥・その他・随想のページをつくりました。
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リンク

東京新聞栃木版コラム 「四季つれづれ」掲載文
汎美術協会
 倉澤恒夫日本画作品集


    
私は蝶や植物の研究者ではなく、自然全般が子供の頃から好きだったのでこのようなHPを作成いたしました。
間違いも多いと思いますが、ご遠慮なくお知らせいただけたら嬉しく思います。


ご意見などございましたら、こちらまで・・・・




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