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北海道蝶紀行X

                                   平成14年 7月10日〜17日


                  コヒオドシ




 台風6号が北上している。このまま予定のコースをとれば北海道も大荒れだ。そんな7月10日足利を出発した。東北自動車道を八戸まで走り続ける。およそ9時間の間、雨は激しくフロントガラスに打ち付ける。果たして苫小牧までのフェリーは出航するのだろうか?・・解消不能な不安が終日つきまとった。

 何とか欠航は免れ、午後十時発東日本フェリーの「ベガ」に乗船できた。6メートルの波に巨大なカーフェリーも大きく揺れ、雑魚寝の2等客室の私は朝まで一睡もできなかった。苫小牧には朝6時半到着。早速走り出す。ウトナイ湖周辺の林には、期待するいろいろな蝶が生息すると、ある本に書かれていたが、この雨ではどうすることもできない。それでも帰りに晴れていたら立ち寄ろうと下見に出かけた。私の住む足利にはこんな豊かな林や草原はない。柏林を見れば心が躍る。フタスジチョウの食樹・ホザキシモツケのピンクの花があちこちに咲いている。後ろ髪を引かれる思いで植苗の駅を離れることとなった。

 今日の宿は富良野だ。撮影しながら辿る予定だったが、ひたすら雨の中を走るのみ。クサフジやツルフジバカマを見つけてはカバイロシジミを思い、ヤマナラシを見てはオオイチモンジに熱い思いを寄せる。本州では高山にしか生息していない蝶が平地でも見られるなんて、ここ北海道は別天地のようだ。

 私は、長い間足利周辺の自然を中心に撮っていたので、北海道には一度も行ったことがない。そんな私にとって、この地に生息する蝶のいくつかは初めてとなるはずだった。しかし、まだ一頭も見かけない。台風が来るのに暢気に蝶々なんて言っている場合でないのかもしれないが、この日が来るのをどんなに待ち望んだことか・・・!

 日高町から日本で一番寒い記録を持つ(マイナス35度Cだったか?)占冠村(しむかっぷ)を経て富良野に到着する間、雨は降り続いた。富良野といえばラベンダー畑・・・ 観光は一切しない予定だったが、見物に出かけることにした。また翌日の偵察をかね、付近の布礼別川を探しに出かける。高台から見下ろす富良野の広大な畑地は、まるで抽象絵画のコンポジションを見ているかのようで単純で簡潔で大きく美しい。見上げる丘には開拓で取り残されたわずかな林が昔の記憶を伝えているかのようだった。収穫間際の麦の畑の黄色に、ジャガイモの葉の緑、トウモロコシの若い新鮮な黄緑色・・・人間は自然を別の美しさに変えたのか?・・・・

 翌日は朝から気温が低い。もう少し高ければ期待できるのだが・・・・まず、昨日下見しておいた川沿いの林道を辿る。体中に水滴がついたままシモツケやアザミの花にエゾシロチョウが止まっていた。この花に止まったまま台風の一夜を過ごしたかのようだった。

 そのうち無情にも雨が落ちてきた。仕方なく引き返すことにする。入り口近くまで戻ったところで急に明るくなり丸三日目にして太陽が顔を出した。すると今までじーっとしていた蝶達がいっせいに飛び出した。オオモンシロチョウ・カバイロシジミ・コキマダラセセリ・コムラサキ・エゾスジグロシロチョウ・・・・何でもかんでも撮ろうとがむしゃらに歩き出した。見るものすべてが新鮮だ。このままずーっと晴れていてくれ・・・!

 ここで見られそうな蝶はおよそ撮影できたのと、探しても出てこない蝶はあきらめ、その後旭川に向かった。今日中に層雲峡まで行かねばならない。まだ気温は高い。次の予定地に急ぐ。しかし、旭川に近づくにつれ雲行きが怪しくなってきた。そしてまたもや無情の雨・・・・・しかし、雨の中でも蝶はいた。ススキの穂にヒメシジミが止まっている。ウラジロミドリシジミの雌がゆらゆらと落ちてきた。でももう時間がない。再び移動を開始する。スモモの木に棲むリンゴシジミはもう時期が遅いかもしれないが、走りながら見つけた木を叩いてみたが飛び立ちはしなかった。一路夕刻の街道を層雲峡めざし急いだ。天気は相変わらず悪い。両側に柱状節理の岩山が現れ、やがて今回最大の目的地・・・層雲峡に着いて驚いた。道路が乾いているではないか・・・! 道ばたのアザミの種類の花にエゾシロチョウやセセリチョウの仲間が数多く止まって吸密している。再び笑顔が戻り、宿に入る前の一時を撮影に没頭した。

 層雲峡には、立派なビジターセンターがあり大雪山を取り巻く自然がわかりやすく紹介されている。ここのセンター長をなさっている保田氏に会いに出かける。足利出身で蜘蛛の権威の斉藤博氏から出発前に私にメールが届き、層雲峡に行った際にはよろしくお伝え下さい・・・と伝言を頼まれてもいたし、我々も情報がほしかった。閉館間近に訪れたので、保田氏はすでに自宅に戻ってしまったが、宿(ペンション山の上)のご主人の案内でその後自宅を訪ねた。お人柄の良さそうな保田さんは私を家の中に通してくれ、束の間ではあったがお会いしお話をすることができた。

 「ペンション山の上」のオーナーは蝶の研究家でもあり、昆虫専門(主に蝶)の方々がここを拠点に行動するらしく著名な方々も訪れていた。夕食後はそんな方々との暖かい交流や情報のやりとりがあり、有意義な時間を過ごすことができた。しかし、台風6号と引き続いて7号もこちらに向かっているとのことで、皆、テレビに釘付けになり天気予報を注目する。内容は芳しくない。どう見ても晴れそうにない。しかし、地元の方はだいじょうぶ・・!と太鼓判を押す。その夜も明け方も雨は相変わらず降り、私の心を揺り動かし続けた。朝早く目を覚まし大雪方面を見上げれば雲の切れ間からわずかな青空が見える。美しい感動的な青空だった。普段の日なら気にもとめないだろうに自分の都合で美しくも見えるのだから勝手なものである。でも心底からうれしかった。

 大きな期待を胸に、我々二人が昨晩多くの意見・情報を聞き試行錯誤の末、出した結論は、大雪山に登るのは止めという結論だった。ウスバキチョウはもう遅いとの情報を聞いたからだ。今は迷わず大雪湖周辺の川を目指すことにした。ここでの目的の蝶は多い。オオイチモンジ・カラフトタカネキマダラセセリ・ホソバヒョウモン・カラフトヒョウモン・シロオビヒメヒカゲ・クモマベニヒカゲ、その他多くのいまだお目にかかったことのない蝶達だ。

 林道に入ってすぐ、シロオビヒメヒカゲを発見、そして次々と憧れの蝶達が現れた。なんと幸福な時なのだろう。北海道の方にはわかるまい。初めて見たオオムラサキやミヤマクワガタとの出会いだって心ときめいたものだ。声を上げながら撮影をしていく。何十枚、何百枚・・とカウンターの数字が進む。

 橋の上でトラップを仕掛けオオイチモンジが飛来するのを待っている先行者がいた。しかし、まだ姿は見ていないと言う。状況のよくわからない私は、その他の蝶の撮影が順調なので落胆はしていない。むしろ充実している。このまま進めばいつか会える・・・そんな気がした。すでに北海道で採集経験のある同行のS氏の考えに従って、糠平国道を幌鹿峠まで足をのばした。道ばたにはタンポポモドキやコウリンタンポポといった帰化植物が一面に生えている。ルピナスのよく目立つ垂直の花穂もあちこち競って咲いている。見たこともない植物が多く、それらのほとんどが帰化植物らしい。多少首を傾げる点もあるがそれらの花にとまる蝶の姿が美しいので良いことにするか・・・・・

 何よりも目立つのは大きな葉のアキタブキである。林道の両脇、至る所を覆っている。幌鹿峠付近の林道ではコヒオドシが多かった。シロオビヒメヒカゲもタンポポモドキに止まりサービスしてくれるが風があり撮ってもほとんどピンぼけであった。北海道の道はキロ数の割りには時間がかからないので、けっこう遠くまで足を伸ばせる。

 我々2人は層雲峡に3連泊してあちこち撮って回っては戻ろうという作戦だ。その日の帰りに、もう一カ所・大函付近のニセチャロマップ林道に入った。林道を辿ると前方から車がやってきた。突然その運転者と私は車のドアをあけ捕虫網を取り出し、飛翔するある一点めがけ走り寄った。私とほぼ同時に振られた網は何回も空を切り憧れの獲物・・・オオイチモンジは空高く飛び去った。これが北海道における最初のドラマチックな出会いだった。興奮した心を静めながら、その採集者と蝶談義が始まった。オオイチモンジを専門にねらっている北見の方だった。しばらく話をしている間も大木のヤマナラシの樹の先端付近を時折、優雅に滑空している姿が見られるが、いっこうに降りてはこない。明日はここで粘ろう・・・・!そう心に決めた。

 宿に戻り、温泉に浸かり今日の疲れをいやす。いや疲れてはいない。明日の期待に心は高揚気味だ。しかし、テレビをつければ相変わらず台風情報が流れ、それを見るたびに不安がよぎる。食事時には、隣に居合わせた定年後の旅を楽しまれているご夫婦との会話に弾みがつき旅情が心を潤す。

 さて翌朝一番、目指すはニセチャロマップ林道。昨日の場所に陣取るやいなや、オオイチモンジが現れた。S氏と同時に一頭ずつゲット。二人で握手を交わし喜びをかみしめる。その後すぐにもう一頭S氏がゲット後はなりを潜めいくら待てども樹上を滑空するのみで降りてはこない。今回、宿主からリンゴに何か秘伝の調剤?を施したトラップをいただいて仕掛けてある。そこに舞い降り止まった姿を撮影するべく視線をそこに集中する。少し離れて他の蝶の撮影をしては戻って確かめる。時間ばかりが過ぎ焦りの色が濃くなってくる。採集した一頭のオオイチモンジが三角紙の中にあるが、やはり生きている姿を撮影して帰りたい。かなりの時間をそこで費やしたがとうとう移動することに決定。さて次の目標は・・・・!

 大雪山・銀泉台を目指す。本来ならここから歩いてコマクサ平まで足をのばし、コマクサを食草とするウスバキチョウを撮る予定だった。仰ぎ見る大雪には残雪が山肌に白く輝いていた。

 さて、これから残るわずかな時間をどうするか・・・! 最初入った収穫の多かった林道を最奥までつめようと決定。しかし時間が遅いせいか、昨日見た夢のような光景はそこにはなく、ひっそりと静まりかえっている。中程のところでハンゴンソウの黄色い花にクモマベニヒカゲが3頭止まっている。その付近にもう1頭いる。しめしめナイスタイミング・・・なんて油断してブッシュに入ったとたん、ミヤマイラクサの棘が半袖シャツから出た両腕に刺さり、感電したような痛みが襲った。突然の出来事に慌ててしまい獲物は四散してしまった。その後は何一つ出会えず、ここの林道は終わった。帰りがてら、本日の振り出しのニセチャロマップ林道に再び立ち寄った。再び幻に出会うために・・・・!

 朝方は林道の入り口付近のみで時間を費やし、他に移動してしまったので、今度は最奥まで行ってみることにした。驚いたことに、そこには最初私と火花を散らした北見の方がいるではないか・・! 「何頭採れましたか?」と彼が聞く。我々二人で4頭と答える。すると、おもむろに三角管の中から束になった三角紙を取り出して、オオイチモンジ9頭と他の蝶すべてを差し出し、我々にくれるという。オオイチモンジの夢はこの方に会って始まりそして終わった。

 心地よい疲れを抱いて宿に向かう。層雲峡最後の夜は蝶の専門誌「ゆずりは」を発行している杠隆史氏や同行のカメラマン中橋利和氏と有意義な話ができ、趣味で撮っている私には貴重な時間であった。
 

 層雲峡での最初の晩に北海道昆虫同好会のS氏からカラフトセセリをいただいてある。この蝶は最近発見された珍しい蝶であるが、発生地にはたくさんいるという。やはり撮影が目的なので今宵の宿(十勝川温泉)の方向からはいったん反対方向に向かうことになるが遠路出かけることにした。信号機のほとんどない道は快適で何のことなく滝上町に到着。いただいた三角紙に書かれている採集地の詳しい字地名を手がかりにそのポイントはいとも簡単に見つかった。地面に這いつくばって夢中で何十枚も撮影する。その怪しい姿に、空き地に隣接する家のおばさんがいぶかしげな顔をしてなにやら話しかけた。

 もう充分撮った。再び移動開始。来た道を戻り、昨日走り回った大雪湖周辺を眺めながら然別湖方面に急ぐ。然別湖では東雲湖行きの遊覧船に乗ろうとしたが既に廃止となっていたので、先を急いだ。途中夕闇の迫る扇ヶ原では、チシマフウロやトモエシオガマ・エゾシオガマなどの可憐な花たちに出会い、外来の植物とは違った落ち着いた美しさをしばし堪能できた。キタキツネが人間の与える餌を頼ってフラフラと現れた。見るに耐えない姿だったが、これも彼らの生きる術なのかもしれない。人の訪れない厳冬期にはどのようにして生き延びているのだろうか?見下ろす広大な帯広平野の広がりは久々の開放感を与えてくれた。柏林を叩いたら一頭のアカシジミが飛び立った。これがキタアカシジミなのか・・・?

 十勝川温泉は私には立派すぎて落ち着かなかった。山小屋や、ひなびた温泉・ペンションなどに慣れた身にとって、広い部屋やサービスに訪れる若い女性の笑顔にどう対応して良いのやら、とまどってしまう。オーナーや宿泊客と普段着の会話ができた「ペンション山の上」は今回良い選択だったと改めて思った。

 翌日は、朝方、長流枝川によっては見たが特にめぼしい成果はなかった。急いで日勝峠を目指した。峠付近の山々には暗雲がたれ込め、そのうち大粒の雨が落ちてきた。どの辺なのか知らないが今度は台風7号が接近している。不安定な空模様の中、よくここまで辿り着いたものだ。残すところ予定のポイントは2カ所となった。峠を下った所に多い覆道上にエゾツマジロウラジャノメが生息しているという。雨がその地点まで下った途端にやんだ。雨に濡れた草の間を歩くと靴の中もズボンもびしょびしょになってしまう。それでも最後の力を降り注いで丹念に探し回る。ヤナギランに止まったエゾシロチョウが今回の撮影行最後の蝶の写真となった。その後日高から苫小枚までは不安定な空模様で出発点のウトナイ湖周辺までどこにも立ち寄るチャンスはなかった。一瞬雨のやんだ植苗の林ではフタスジチョウが飛ぶ姿を見ただけで撮影はできなかった。もう充分だ。600枚近い写真が撮れた。その中の多くの蝶が私にとって初めての出会いだった。宿やフィールドで出会った方々にお礼の手紙も今書き終えた。

 こうして台風6号とともに北上した北海道蝶撮影紀行は、7月としてはおよそ50年ぶりに北海道に上陸したという厳しい天候の中、撮影も思う存分でき、まずは大成功だったと思う。フェリーターミナルで問い合わせれば、深夜12時発八戸行きは出航の予定だと確認できた。総走行距離2586キロメートル。いまだ思い出を噛みしめている。


 

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