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                                   鳥のいる風景

上が新しく、下に行くほど過去の文章になります

                                   (2001年 2月14日〜)



秋深まる

 頭の中のどこかにスッキリしない思いがくすぶっている。テレビも新聞もタリバン・ビンラーディン・アフガン・空爆・・そんな文字が溢れている。

 そんな中、いつものお気に入りのフィールド(田沼町・飛駒)に出かければ、道端や手入れの行き届いた庭のヒャクニチソウや畑のニラの花などに、ウラギンヒョウモン、ウラギンスジヒョウモン、メスグロヒョウモン、ヒメアカタテハなどが訪れていた。ワレモコウ、シラヤマギク、そして、あちこちに咲くノハラアザミの花々が傾きかけた午後の光の中で、残された時間を惜しむかのように咲いている。・・・アサギマダラが飛んで来た。山地で見るのと違って人家まわりの里山で出会うと、たとえ1頭だけでも幸せな気分にしてくれる。

 近頃は蕎麦ブームらしくあちこちに蕎麦の花が咲いている。そばの花にもヒョウモン類がとまるが、うまく撮れた写真は少ない。白い花との組み合わせが難しい。ヤマゼリの白く可愛い花にキアゲハの幼虫がたくさんついている。ヒガンバナはすでに咲き終わりこれから冬になるのに濃い緑色の葉が出るのだから変わっている。

 栗林の木の下に茶色い服を着たおじさんが一人座りこんでなにやらゴソゴソやっている。よくよく見れば日本猿が落ちた栗を食べていた。後姿だったのと木の下で薄暗かったので間違えた!猿も良く見かけるが、近頃はイノシシが出て困ると地元の人が嘆いていた。昔は足利周辺にはいなかったのに・・・・・

 アオツヅラフジ、ガマズミ、ノブドウ、アケビの実…青や赤や紫色と秋の野山はカラフルだ。
そうそう、竹やぶの隅にキヌガサタケが美しいレース模様のマントをはおり、半日ほどの短い命を誰に見せるわけでもなく、ただそこに生えていた。

 のどかな里山での一日・・・・それでも家に帰ってテレビをつければ、人間達はもっともらしい理屈をつけて、殺し合いをやっている。ミサイル、核兵器、生物科学兵器・・・人間嫌なものを作ったものだ。

                                          2001年 10月 9日 記

  
      
  キヌガサタケ                ガマズミ




これで良いのか?

 
日に日に、報復戦争へと向う足音が大きくなっている。今回の同時多発テロは確かに悲惨だったが、ブッシュのその後の話しの進め方が速すぎる。容疑者がすぐ見つかったり、どうも筋書きが決まっていたかのように感じる方も多いと思う。テロ集団を泳がせておき問題を起こしたらそれを理由に仕掛ける? ・・・誤算だったことは、あんなに大きな想像外の自爆テロを実行するとは思ってはいなかっただろう、そのことだけかもしれない。あくまで私の考えや見聞きした報道や他の方々の話の中から感じたことだが・・・。

 経済が行き詰まると戦争を起こす・・・・これは昔からの常套手段だ。愛国心を煽り報復を正当化し世論を味方にして点数を稼ぐ・・アメリカの一貫しない中東政策にも問題がある。自分で種をまいておきながら、テロとたいして変わらない武力での解決模索は、問題の根をより深くしてしまい、末代までの憎しみを増幅するだけだ。

 資本主義経済が行き詰まりを呈し、それでも世界の覇者と思い込んでいるアメリカは半ば脅迫的に、周辺諸国やわが日本にも相応の協力を求めている。今回は単に資金を出すだけでは、もはやアメリカは納得しないだろう・・・とメデイアも声をあらだてる。

 この六十年の間に、広島、長崎、アウシュビッツ、南京、ベトナム、アフガン・・様々なところで多くの人が死んでも何の教訓にもなっていない。戦争を経験した大人達・・・「戦争を知らない子供達」であった50代以下の大人達・・・フォークソング全盛時、反戦歌を歌い、香月泰男のシベリアシリーズや丸木夫妻の原爆の図、ベンシャーンの第五福竜丸などの絵画・・・峠三吉や栗原貞子の詩などで戦争の悲惨さを訴えても、恐ろしいことに上に立つわずかな人間(ビンラーディン・ブッシュ・小泉)の思惑で民衆は同じ方向を向いてしまう。空しくやりきれない思いでいっぱいだ。

 物質優先の資本主義経済の共食い競争では人間幸せにはなれない・・・何でもイスラム原理主義の本当の考え方は、そのような事と、ラジオでどなたか話していた。一部の過激なテロ集団はもちろん認めることは出来ないのは当然だ。しかし、イスラムの人達すべてが無意味な殺し合いを望んでいる訳ではない。

 親である私達は、今こそこの現実を前に、子供達に自分が今まで生きた人生において学んだ多くの事を話してやらねばならない。幸福とは・・豊かさとは・・人類とは・・・・

 自分だけは生き残る・・・・誰しもそう思って今を生きているのだろうが、もうじき多くの同じ人間が人間によって殺される。・・どう考えてもそんなことで良いとは思えないのだが・・

 
ニューヨークタイムズに載ったヨーコ・オノのメッセージ
  Imagine all the people living life in peace
  (すべての人が平和に暮らすことを考えよ) ・・于論茶の掲示板より(9/27追記)

                                        2001年 9月 24日 記 




ヒガンバナの咲く頃

 今年は例年になくあちこち撮影してまわり私の好きな蝶や花や山々を十分堪能できた。シーズンもいよいよ終盤となり少し寂しいが、今日は私のお気に入りのフィールドを友人と2人してのんびりとまわってきた。

 期待した蝶は採卵目的のミヤマカラスアゲハの雌だが残念ながら一頭も会うことが出来なかった。少し気温が低かったようだが、その他にも理由が二つあった。一つは台風15号の影響らしく、林道の1つが通行止めとなって目的地に入れなかったことだ。そのポイントは林道の途中にあり、開けたその場所にクサギの木が何本か生えていて、付近のアゲハ類が花を求めて集合する。

 もう一つの理由はこれまた別の林道がトンネル工事のため通行止めとなっている。私はこのトンネルが何故必要なのかわからない。田沼町飛駒から田沼町作原まで峠を越えて結ぶ「近沢林道」という林道だが、生活のため必要な林道なら長期間通行止めにしていたら支障があるだろうに、当分の間一切通さない。長い間迂回路も作らず車を通さなくても問題無い林道が、何故莫大な金を使ってトンネルにしなければならないのだろうか? 相応な理由があるのなら聞きたい。

 さて、いつもながら文句が多いのでもう工事の話はやめにする。気分を改め・・・里山と呼ばれるにふさわしい田沼町・野上川周辺の田んぼには黄金色の稲穂が垂れ、畦道や小道にはヒガンバナが列を作って真紅の花を咲かせている。農家の方々によってきれいに刈られた畦道が真っ赤に染まり、黄色く色づいた四角い田んぼを浮きたてる。あたかも収穫目前の祝福のようであり、繰り返す四季の仕掛けの巧妙さに一人うなずく。

 最奥の集落「作原」の山の斜面の畑地には、うす紫色のスルボの花が整然と咲き並び、何度も丁寧に刈られたクリ林の下には小さなノハラアザミの花が咲いている。ミドリヒョウモンやウラギンヒョウモン・クモガタヒョウモンなどがそれらの花にとまって吸蜜している。まだ蕾のヤマゼリにはキアゲハが頻繁に産卵し、黄色いヤブツルアズキの花にはチャバネセセリが訪れる。地面を見れば大きな栗の実が落ちている。先ほどからオナガの群れが付近の木の枝にとまってしきりに鳴いている。親子連れらしく、はぐれた幼鳥?を気遣い群れに戻るのを待っているようだった。

 そんな穏やかな里山の光景を友人と2人で時間を気にせず撮影して歩いた。蝶を見つけ、花を見つけては 「いいよなあ・・ここは・・」

 いつまでも、この風景が変わらずに・・・・と願うばかりだ。

                                         2001年 9月 16日 記

 
    アカタテハとスルボ




蝶の撮影

 友人達が蝶の撮影に熱を上げている。火付け役はどうも私らしい。今まで一番ホームページに縁のなさそうだった人・・・それは私です? そもそも随想の最初にも書いたがコンピューター操作なんてついこの前(1年チョット前)までなに一つ出来ず、ひたすら無視・敬遠していた。・・・経済成長はほどほどの所で安定してくれさえすればそれが一番いい。今の世の中不必要なものまで作り消費者を刺激しすぎる、なければないで済むものを・・・! なんて言っていたこの私が作ってしまったものだから、どうやら刺激が強かったらしく、近頃採集より撮影旅行が主となっている。その点は非常に良い傾向なのだが40年近く写真を撮っていても、難しい事を聞かれるとさっぱりわからないのがこの私。いたって機械には弱い。最近質問が多いのでかえってこちらも勉強になる!

 私とリンクしている「信州 諏訪・自然写真館」の酒井氏のサイトには蝶の撮影法や必要機材が丁寧に書かれている。あらためてお知恵をお借りしてそれを伝授する!・・・そんな泥縄状態なのである。私は単なる自然大好き人間・・・カメラ(機種)本体の趣味はない。蝶などが撮れそうなレンズを買ったまでだ。

 最初はほとんど標準レンズでの山岳風景。次に接写リングを使って高山植物などの接写。また赤外線フィルムで撮った白黒の山岳写真を少々。だいぶ後になって50mmマクロ続いて105mmマクロ・・今ではほとんどこれ1本。ポジフィルムを使って撮っている。

 その他に35mm〜70mm、75mm〜300mmのズーム、スピードライトSB−26、マクロスピードライトSB21、超高速ストロボなどを持っている。

 ただいま猛烈に勉強中の誰かさんは、庭にケージを作り食草や吸蜜用の花も植え、飼育後羽化した蝶をその中で飼いながら撮影している。蚊にあちこち刺されてもめげず、このくそ暑い今年の夏、ひたすらケージの中に数時間も入りっぱなしでアアダ、コウダ・・と考えながら何本も撮っては、最近私にメールで送ってくる。今、アオタテハモドキに凝っている。ケージの中で交尾したらしく食草・キツネノマゴから幼虫を発見!・・と伝えてきた。

 現在修行中の身なので、ピントが合わない、背景がうるさい、構図がどうのこうの・・・うまく行かないのはレンズのせいかな?なんて考えたりしているが、そうやって何百、何千枚と撮るうちに良い写真も貯まることだろう。むしろ難しい方が長〜く楽しめて良いと思う!・・ボケ予防、老後の健康にもおおいに役立つ・・・かな? 

                                       2001年 8月 25日 記

 
   アオタテハモドキ




迷路

 
庭からミーンミン・・・と蝉の鳴き声だけが聞こえる。猛烈に暑かった日々も今日は一服。それでも蝉は短い命と知ってか声を張り上げ鳴き続ける。我が家の蝉が鳴き疲れて休むと、少し遠くの蝉の鳴き声が聞こえてくる。そのまた先の声も・・・・もっと耳を済まして聞けば、ヒグラシの声もわずかに混じっている。午後4時を過ぎた曇り日の夕刻。

 子供の頃の我が家周辺は田んぼが連なっていた。トノサマガエルが鳴き出すと波が押し寄せるかのようにケロケロケロの輪唱が聞こえてきた。当時この鳴き声はどこまでも連なって関東平野を東に進み首都東京までもつながっていたかもしれない。北は山だからカエルではなく、ヨタカやホトトギスの声が季節によっては聞こえて来た。今ではカエルの大コーラスは聞こえないしヨタカも鳴いてはくれない。さて蝉はどうなのか?地面の下での生活が長いから、這いあがろうとしても出口がふさがってしまい生き埋めとなった蝉も多いことと思う。それでも点々とではあるが、群馬、埼玉、東京、と鳴き連なっているのだろうか?

 こんな事を考えてはみたけれど、行きつく所はいつも同じ。トノサマガエルがいなくなったので、カラスがゴミをあさったりカブトムシを食べたり小鳥の雛を食べるようになったのかもしれない? 彼らの食生活?の変化も著しい。それもこれも人間の都合によって生じたと言える。ながながと続いた日本人の農耕民族としての流れが、この数十年の急激な価値観の修正が原因で立ち消えそうだ。残された農家のお年寄りが耕せなくなる日も間近に迫っている。

 農家の長男に生まれた私は、親から農業のノウハウを教えてもらった事はなかった。大変な仕事と思ったのか、最初の就職先である都会の銀行に就職が決まった時も反対はしなかった。我が家がそうであったように、多くの農家の若者が故郷を離れ都会で暮らすようになった。それから時が流れ、高度成長、バブル、大不況・・・・今、人間も生物もあまりの急激な変化にどう対応して良いか答えが見つからなくなっている。元には戻れないし、行く先も見えない。

                                            2001年 8月 7日 記


 
     カブトムシ




自然を売買する!?

 
この2日の間にいただいたメールと友人から聞いた話をもとに、思い付いたことを書いてみることにした。

 自然破壊、環境破壊、絶滅危惧種、OOブーム・・・などなど、あまり聞きたくない言葉があふれている。友人の話だが、榛名高原で撮影をしていたら一人の採集者が話しかけてきたそうだ。同じ趣味という事で、(以前私が随想に「独り言」と題して書いたが)
気を許し、あっちの方にたくさんいましたよ。・・・と、ゼフィルスのいた所を教えたら、その採集者は団体で来ていたうちの一人らしく、皆集まって教えた方に移動して行ったそうだ。その人達との話の中に「蝶でお金儲けができる。」・・・そんな内容の会話が聞こえてきたそうである。

 今では、山野草の中でも私にとって、ごくありふれた種類と思えるものまで定価OO円で売っている。昔は野の花1つ1つに定価はついていなかった。なんでも、ブームとなると一般(失礼な言い方かもしれないが)の方々が、難しい山野草を買って育て始める。しかし、熱心な方は別だが、多くの方は冬ごし、水くれ、植え替えなど管理に失敗して枯らしてしまうことも多い。またブームが去れば値崩れもするし、熱をいれていた人達も次第に減っていく。それに伴い、それらの植物も並行して減っていく。結局野山からも庭からも消えていく。イワヒバ、シノブ、春蘭、エビネ、ウチョウラン・・・・etc

 私の近くのカタクリ群生地に行くと、ごっそり根こそぎ掘って行ったあとが度々あった。蝶の撮影で出かけた奥利根のある場所にたくさん咲いていたヤナギランが、翌年にはことごとく抜きとられ一本もなくなっていた。

 一般の方はあまり知らないだろうが蝶や昆虫(卵、蛹、成虫)にも値段があり売買の対象になっている。採集マニアも多く、また買ってでも収集しょうとする人も多い。別にこのこと自体は悪い事ではないが、売買する蝶を根こそぎ採って行かれたのでは、生息範囲の限定された種類は、すぐいなくなってしまう。榛名高原は私が小学生だった頃からそんなに大きな開発はしていない。それなのに、今では見られなくなった蝶がたくさんいる。どう見ても、マニアや採集業者による乱獲が原因と思われる? ホームページが取り持った新しい友人から次のようなメールが今日届いた。一部紹介する。

「現在、多くの蝶が衰亡している最大の原因は、地球規模での環境破壊のためであり、収集家による成虫の採集よりも、土地開発による生息環境全体の変貌の方が、理由としては大きい。」などと、もっともらしく・・・・・以下省略

 採集をそのように言って正当化する事を問題視している。いろいろな意見があり反論もあるだろうが採集者や、収集家はより珍しい種を限りなく追い求める・・この事は反論の余地がない。高い値段がつけばそれを目的に根こそぎ採集して業者におろし、金儲けしょうとする人だって当然出てくる。蝶や昆虫、また山野草に所有権はなく誰のものでもないのだから。

 前にも書いたが自然と接しているからと言って必ずしも、美しい自然を心から楽しんでいる人ばかりではなく、高原に咲く花や鳴く鳥の声には目もくれず、耳も傾けず、ひたすら蝶を採集し、珍しければ満足し、収穫がなければ腹を立てて帰る人もいるだろう。寂しい事だ。

 訂正・補足・・・一度UPした文章の一部を訂正しました。また少し補足をしようと思います。昆虫採集や収集が悪いわけではなく、自然と親しみ、その中から命の尊さを知り、自然界の造形美や不思議さに驚き、様々な生物や植物との相互の関連もわかってくる。また、生物達の存在が微妙なバランスで成り立っている事も採集を通じ自然を見つめる事によって解かってくる。採集者にはなるべく多く採集しない事と、貴重種は採集しないことを望みます。いつまでも、かけがえのない自然が変わらずに存在することを願って・・・

                         2001年 7月23日 記
 

  ヒメシジミ




紙吹雪の如くゼフィルス舞う

 
この季節、平地のゼフィルス達の姿は見えなくなり、山地のゼフィルスの出番となった。低山地のメスアカミドリシジミの撮影は渓流沿いのテリトリーの位置が遠く、300ミリでは写ったものの物足りなかった。おまけに雨が降りだし、後ろ髪を引かれる思いで退散となった。

 そのあと、ジョウザンミドリシジミを狙って友人達と出かけた時は、新鮮な個体が朝露の光るススキの葉上で美しい翅を広げてくれた。ウラキンシジミの羽化したてと思える個体ものんびりと止まっていてくれ、かわるがわる撮影できた。しかし、まだ出始めらしく数は多くなかった。

 日を改め別の産地を2ヵ所ほどまわったがどちらも不発だった。それぞれ標高や日照条件が違うのでうまくその年の発生時期を当てるのは難しい。そして今度はアイノミドリシジミ狙いで私の不得意な超早朝?に一人で赤城山に出かけてみたが、そこもまだ発生していなかった。朝6時頃から7時半ごろまで毎年集まるポイントで粘ってはみたが、とうとう現れず、その後の撮影をどうしょうか迷った。仕方なく選んだ場所は先日数頭確認済みの榛名山という結論になり、一路、山を下り町に出てまた山に登った。

 途中の林道上で何頭も絡み合っている所を運転中に発見。付近を見れば二十頭あまりがキラキラと輝きながら、あちこちで占有行動を重ねている。採集して確認したら、ジョウザンミドリシジミとアイノミドリシジミだった。しかし、破損しているものが多い。ここで多少傷んでいても撮影すべきか迷っているうちに、どんどん時間が過ぎて行く。もっと標高の高い、いつもの場所へ行くなら早くせねば占有行動を停止してしまう。(ジョウザンミドリシジミ、アイノミドリシジミ、は10時頃でピタリとやめてしまう)いつもの場所に急行することにした。

 到着してみれば、なんと、歩き始める前に車を置くいつもの場所で、すでに数十頭ものゼフイルス達が目が回るほど舞っている。そして、歩き始めれば空間という空間に二十頭くらいはどこでもいる。撮影していても止まった蝶をすぐ追いかける蝶が現れたり、付近を飛ぶあらゆる物体?にスクランブルをかけ、せわしすぎて撮影にならない。数日前は新鮮だったが、採集してみれば破損や色があせたものが多い。ここ数日の晴天(猛暑)続きで毎日朝早くから追いかけっこを数時間もすれば、短期間で傷つき色あせるのも当然かと納得した。

 それにしても、こんな多くのゼフイルス達に会え撮影ははかどらなかったが紙吹雪が舞うような光景に出会え、未練残さずほくほく顔でその場を去ったことは言うまでもない。

                                          2001年 7月13日 記

 
   ジョウザンミドリシジミ




オオムラサキの季節

 
年も、オオムラサキが羽化したという話題をあちこちのテレビで放映している。オオムラサキやギフチョウは有名だからニュースになる。これが、オオゴマシジミとかミヤマシジミ、アサマシジミなど小さくマイナーな蝶では、たとえ珍しくとも、なかなかこうはならない。一局ぐらい「ミドリシジミ」が羽化しましたと伝えるテレビがあっても良さそうなものだが・・・だいたい四季の便り的なニュースはどこの局も毎年同じようなことを流している。

 さて、そうは言っても、この季節、確かにオオムラサキは気になる。私も少し前に見つけたすばらしいクヌギ林に行って見た。この林は手入れが行き届いていて、林の中を風が通りぬける。こんな美しい林は近頃お目にかかれない。私が知っていたいくつかの雑木林ではシイタケの原木用に伐採したあと、手入れをしていないので、篠竹などがおい茂りオオムラサキが訪れた以前の面影はどこも残っていない。

 話は戻るが、この美しい林には、ある民家の庭を通らなくては行くことができない。先日見つけた時、「もう10日ほど経ったら蝶の撮影がしたいので、もう一度ここを通らせてください」そう断っておいた。

 私の家から5〜6キロ離れたその林は、随想2の「オオムラサキ散る」に書かれている民家のすぐ近くだ。実を言うと、そこの主人に教えていただいたのだ。以前撮影させていただいた林の樹液の出たクヌギの木は生憎切られていて、今はもうなかった。持ち主が燃料用に少しづつ切っているとのことだった。懐かしくあの時の話しをしていたら、近くに似たような所があると教えてくれたので、さっそく行ってみたらすぐ見つかった。その時は、ゴマダラチョウ、ルリタテハ、コムラサキ、ミヤマクワガタなどが訪れていた。今回訪ねたら、新鮮な雄のオオムラサキが一頭ではあったが、のんびりしていて撮影に協力してくれた?

 しかし、いくら待てども、あの美しいムラサキ色の翅を開くシャッターチャンスは訪れず、とまっている横顔を数枚写しただけで帰ることにした。撮影もうまく行けば言う事ないが今日はこの林にいられただけで、とても幸せだった。帰り際に家の中にいたおじいさんにもう一度挨拶すると、先日と同じ部屋の同じ所でおなじ「足利の歴史」という本を読んでいた。家の周りの畑から庭から、家の中まできれいに掃除や手入れが行き届いている立派な家だった。あんなにきれいに雑木林を維持しているのを見て、何だかお礼が言いたいほどだった。

                                         2001年 7月3日 記


 
   オオムラサキ




ミドリシジミ哀歌

 
今年は、ミドリシジミの撮影に真剣に取り組んだ。3日間あさ5時起きをして2ヵ所行き来した。私の知っていたハンノキ林がここ数年で5ヵ所切られた。いずれの地にもミドリシジミが生息していた。その中で一番大規模に切られた林には、いつ出かけても間違いなくたくさん見られたので油断して撮影も後回しになってしまった。そうこうしているうちに、ほぼ同時にそこを含めた5ヶ所が切られた。今残っている所も、北関東自動車道にかかるらしい? そこで、いても立ってもいられず、今年こそはきちんと撮っておこうと思いハンノキ林通いが始まった。

 最初の日は、友人からの情報をもとに足利の貴重な湿原・・・「迫間湿原」にでかけた。前日夜ミドリシジミの発生を確認したとのメールがとどいたので、早速翌朝出かけたのである。しかし、撮影可能な低い位置には降りて来ず、2時間ほど待って移動した。(注、基本的には生息地の場所は書かないことにしているがここ、「迫間湿原」はまた開発されそうなので敢えて書いた)

 次に私の秘蔵?の場所に出かけてみると、少し遠いが何とか撮影可能なところにとまっていた。私の期待どうりに翅を開いていたので撮影が始まった。車のキャリア上に床板が張ってある。そこに三脚を立て、300ミリで狙っていると、駐車中の狭い道に車が前後から来てしまった。急いで機材を片付け車をどかした。戻ってみると、ミドリシジミは逃げて何処かに行ってしまった。その後いくら待てども低い位置には降りてこなかった。

 翌朝・・・2日目は朝から曇っている。昨日も似たような天気だからだいじょうぶだろうと出かけ、ミドリシジミがとまっているのを確認した。あとは気温さえ上昇すれば翅を開く! しかしいくら待てども開かない、時間は過ぎて行く。そのうち、霧雨が降り出したので退散。
家に帰ってゴロゴロと寝転んで休んでいると、午後になって天気が回復してきた。すかさず起きあがりまた出かける。今度もちょうど良い所にとまっている。 「翅よ開け・・・!」 と祈るような気持ちで待っていると無情にも風が吹き出し、やがてカミナリが鳴り出した。また退散。

 さて翌朝、この2日間の習性?で早く目がさめてしまった。今日はマアマアかな? どうも脳裏に翅を開いた姿がチラツキ落ちつかない、行って見なければ解決しない場合は行って見る!
また来てしまった・・・!ところが今日は気温がまだ6時台なのに高いせいか既に翅を開いている。さっそく、撮影を始める。今までのイライラが一機に解消され、バチバチ撮りに撮った。お陰様で何とか数枚ピントがマアマアのものが撮れたが、本当はマクロの100ミリで近づいて撮りたかったがその距離には降りてくれなかった。

 こうして、いつ切られてしまうかわからないハンノキ林のミドリシジミを写しはしたが、心は落ち着かない。ここに来ればキラキラ輝きながら飛び交う、あのミドリシジミが永遠に見られる・・・それは不可能に近い話しかもしれない。

 蝶8にミドリシジミの画像が6枚載ってます。
                                         2001年6月20日 記
 

  ミドリシジミ




ギフチョウの楽園

 渓流のせせらぎの音を聞きながら小道を辿ると、まだ雪が消えたばかりの林の下にキクザキイチゲや、ヤマエンゴサク、スミレサイシンなどの可憐な花が咲き、道の脇には山ウドが食べごろの?芽を出している。ヤグルマソウの大きな葉が茂りこの辺の土の豊かさを物語っている。一年に一度訪れる新潟県越後湯沢町の、ある渓流沿いの草地を目指し気の合う仲間5人が晴れ晴れとした顔をして歩いて行く。

 今日の空は雲一つ無く、どこを見ても青一色・・好天無風とは今日のこの一日を言う言葉だ。雪解け水で増水した流れを渡渉せねば目的の地には到達できない。流れの緩やかな所を探したり、最初から濡れるのを覚悟で靴のまま渡ったり、ここが一番の難所だ。こんなところまでギフチョウを探しに来る人間はいない。今まで誰一人として会った事が無かった。

 暗い山陰の道から、明るく広い道に出るとそこは快適な散歩道。ハルゼミの合唱が多少賑やかだがそれも季節の証。それぞれのペースで歩いていくとあちこちから、ギフチョウが出迎える。こんなに会えるなんて夢のようだ。今年初参加の新しい友人は、終始ニコニコ顔だった。私は相変わらず写真一本だが、ピントを合わせているうちに、オオタチツボスミレの花から花へとすぐ移ってしまい、とうとう一枚も撮ることができなかった。

 残雪の残る広場で昼食をとっていれば、あちこちからギフチョウが飛んで来て挨拶をしていく? いつもは10頭も見られないのに、今日は30頭は堅い。小道の両側に群生するコシノカンアオイの新芽をめくれば、真珠のような産み立ての卵が何箇所からも見つかった。

 ギフチョウの数の多さに比べ撮影は空振りで、多少物足りなさは残るが、いつまでたっても青色が全天をおおうすがすがしい空、ブナの葉の新緑のみずみずしさ、どこからか聞こえるサンショウクイのヒリヒリという鳴き声・・・・みんな心の中を豊かにして来た道を引き返した。今年最高の一日を、気のおけない仲間たちと過ごし、昔読んだことのある「雪国」越後湯沢の遅い春を後にした。

                                          2001年 6月7日 記 
 

   ギフチョウ




過ぎ行く春

 ほんの少し前までは、山里に出かければ、沢沿いの家々の庭にフジやツツジの花が咲き、新鮮なカラスアゲハやオナガアゲハがかわるがわるやってきては吸蜜をしていた。ウスバシロチョウも、わが世の春とばかりに、あちこち、ヒラヒラ、フワフワとやさしい風に漂っていた。

 雨上がりの昨日、お気に入りのコースを訪ねれば、既に傷んだウスバシロチョウがわずかばかりの数、行く春を惜しむかのように飛んでいる。初夏の日差しを感じる中、山里第二章は、クモガタヒョウモンやウラギンヒョウモンの新鮮な個体の登場だ。あちこち、日当たりの良い山道脇のアザミの花を訪ね歩いている。キマダラヒカゲが何頭も絡み合い、追いかけながら賑やかに飛びまわっている。イチモンジチョウ、ダイミョウセセリ、ヒメキマダラセセリ・・皆新鮮だ。
ここ足利周辺では、五月も25日ともなれば、春と呼ぶには既に季節が進みすぎた。
 
 蝶の友人から、メールが届いた。コムラサキ、ゴマダラチョウ、ウラゴマダラシジミ・・・私が山里を訪れた同じ日に、平地の湿地周辺の林で観察したという。一回り大きな春型のゴマダラチョウは確かにもう既に飛んでいるはずだ。我が家のエノキに昨年産卵し越冬した幼虫をこの春見つけ、寄生やその他天敵にやられないように袋がけしてやった。その蛹も5月20日に羽化している。もう7日もたっている。

 家の中に、まして都会のビルの中にいたのでは、1週間の変化などわからないだろう。しかし自然は正確だ。私の長い観察日記に基づいて出かければそう狂いは無い。今日はあの蝶が飛んでいるだろう・・・とわかるのである。こんな事は蝶を採集している方々はご存知だろうが、植物にしても同じことだ。それぞれの山菜の採るにちょうど良い日を、これまた日記に書いてあるのだが、今年、私が山椒を採りに行った日と同じ日に植物に詳しい、前回の随想「物言わぬ自然」に登場した大和田さんからメールが届いたことがあった。4/15「家族でサンショウ採りに出かけました。」と・・・

 その時は、笑ってしまった。(まさか同じ日とは・・・!)
季節を4回(春夏秋冬)に分けるだけでは大雑把すぎる。毎日変わっていく。今日は、クロミドリシジミの最後のメスが羽化した。ダイセンシジミもほとんど同じ時間に羽化をした。ついこの間まで咲いていた庭のヤマオダマキは種ばかり・・・スプリングエフェルメルの植物たち・・カタクリやセツブンソウ、フクジュソウの姿はなくなった。

 渡良瀬川の土手に行けば既に草丈は伸びジャコウアゲハは見られない。アザミ、コウゾリナ、スイバ(スカンポ)の花穂が賑やかに直立している。ミヤコグサがよく刈られた芝の中に黄色く可愛い花をつけている。春の象徴的な花「スミレ」は草におおわれ目立たない。

 あちこちからキジの鳴き声が聞こえ、私の好きな大きな2本のクヌギの木にカッコウが止まり、しきりに「カッコウー、カッコウー」を繰り返していた。

 こうして、一日として同じ日はなく、季節は過ぎて行く。アカシジミ、ミドリシジミが夕闇の迫った湿地沿いの林や山際の林で、またウラクロシジミが山の斜面をキラキラと飛んで行く姿がもうじき見られる。同じ蝶や植物そして鳥・・・同じものが同じ場所で今年も見られる・・・そんな事が平和で幸せなのだ・・・そう思う。

                                          2001年 5月 27日 記

 
   ウスバシロチョウ





物言わぬ自然

 5月16日、午前11時15分ごろ、NHKテレビ「いっと6けん」の中で私のホームページとリンクしている「渡良瀬遊水地の植物」の作者・・大和田真澄氏が紹介された。

 広大な湿原「渡良瀬遊水地」は貴重な植物がいまだ多く残っている。いわゆる絶滅危惧種が多い。春が訪れた遊水地には、いま様々な花たちが咲いていると言う。紫色がやさしいチョウジソウ、この地で消滅したら、全世界からも消えてしまうというエキサイゼリ、一時ブームで我が家の裏山にもたくさんあったが今は一本も見られなくなったエビネ、・・・そんな植物達を、大和田氏が言葉は少ないが、やわらかな緑色が美しい遊水地の中を歩きながら丁寧に紹介していた。

 全国的に湿原や平地林などは開発されやすい。すでにここ渡良瀬遊水地もだいぶ開発された。点在した大小の湖沼は減り、その代わりに?大きな人造の湖が出現した。レジャー施設もでき年々変化している。

 貴重な植物がすべて美しい花を咲かせるわけではない。小さくて私など名前も知らない目立たないものも多い。それらの植物達は何も語らず、ただ時間の流れだけが広大な遊水地のあたりも含め過ぎていく。10年後、20年後、物言わぬ植物達が何の抵抗もせず消滅するかもしれない。
大和田氏はホームページを通じて全国、いや全世界にむけ、「何も言わない植物に代わって私がメッセージを語りかけているのです。」・・・と印象的に語っていた。

 植物も蝶も鳥も・・・自然は何も語らない。人間だけが勝手に理屈をつけ、破壊とは言わず開発、有効利用などの名のもとに多くの自然を帰らぬものとしてしまった。この数十年の中で失った植物、鳥、トンボ、淡水魚、水棲昆虫、・・・・数え上げたらきりがない。これ以上おろかな破壊はせず、人間と自然が共存できる・・そんな方法を皆で考える必要がある。

                                         2001年 5月16日 記
 

 キンラン(この花も少なくなった)






反省!!

 前回、「宿命」なんて重いタイトルをつけたので、懐かしい友人からどうかしたのですか?というご心配のメールが届き、反省とともに、細かい所まで読んでくださっている事に感謝しました。ホームページにこうして書くという事は、どこかの誰かに対し、たとえ返事や反応が直接聞こえなくとも、何がしかのメッセージを「確か」に送っているのだな・・! と、あらためて気が引き締まる思いでした。ただ私も生身の人間ですので、明るい日もあれば、暗く重い気持ちの日もあります。皆さんの期待と違った話題になることもあるかと思いますがお許し下さい。

 さて気分新たに・・・昨日は、午後になり連休中どこにも行かなかったので(因果なもので人の休む時に仕事をしている)いてもたってもいられず、近くの山里に出かけた

 アゲハチョウの仲間が、咲き始めた新鮮なツツジの花に集まり、あちこちの明るい空間には、ふわふわとウスバシロチョウが浮かんでいる。まだ耕していない田んぼには、レンゲの花が一面に咲き、ときどきその上をモンキチョウなどが横切る。やさしい春の光景を提供してくれる農家の方々に感謝! すこし西に傾きかけた太陽を透かしてみる若葉の色がまるでステンドグラスのように鮮やかだ。今日は連休最後の日なので人出が多い。

 いつもは静かな林道の分岐点で、カメラをぶら下げサカハチチョウの求愛シーンを狙っていると、訪れる人達が必ず話しかけてくる。分岐点にはしっかりした橋がかかっている。そこから二本に道が分かれいずれの道も急に狭くなり、鬱そうとしたスギやヒノキにおおわれているので進もうかどうしょうか考えるらしい。

 「行っても行き止まりですよ」と声をかけると、その一声で私に対する警戒感がとけるらしく「自分はどこから来た」とか「何をしているのですか?」とか話しかけてくる。私が、「あの白い花はコンロンソウといってチョウが良くとまるので、ここでしばらくチャンスを待っているのですよ」というと、前に進むのはやめて、しばらく私と話したり山菜などを探し出す。聞かれもしないのに私が「この花は毒ですよ」「これは食べられます」と説明したら喜んで私の講義を?聞いてくれ質問も飛び出す。イタドリの太く出たばかりの柔らかな「杖」を見つけ、どこかでこれを出され食べた事があると言う。先ほどたくさん生えていたところを思い出し、私が一抱え採って来て差し出すと、大変喜んでくれた。

 しばらくして、そのおばちゃんたちは車に乗り込んだ。走り出そうとした車から一人のおばちゃんが降りて私のところまで戻ってきた。私に缶入りのお茶を差し出し「もう温まってしまったけれど・・・」といって渡してくれた。

 サカハチチョウ、ウスバシロチョウ、ベニシジミ、オドリコソウ、レンゲ畑、からみついた藤の花・・・・今日の収穫。
                                       2001年 5月 8日 記
 

    レンゲ畑





宿命


 この地球上にはいろいろな生物が存在している。その中で人間として「生」をうけたことはそれだけで宝くじに当ったようなものだ。けれどほとんどの人はそうは思わず生きている。苦労しているのは自分ばかり・・才能もなく背は低く?顔は月並み以下?、虚弱体質で何をやっても中途半端(すべて私)こんな人生、まったくイヤになっちゃうよ・・・・・!

 そんなふうに思っている人は他にいませんか?それは大間違い。他の生物に生まれたらどうだろう。蝶に生まれれば幼虫の頃から「毛虫」扱いされ嫌われ者。好かれてもせいぜい一握りの物好き人間だけ。蝶になるまでに、蜂、蝿、鳥、などに狙われ青空の下ヒラヒラと飛べるのは100分の1か2・・? もっと悪いかもしれない。それでも毛虫時代よりはましで、「まあきれいな蝶・・」なんて言ってくれることもたまにはあるだろうが・・・。けれどゴキブリや蝿や蚊なんかに生まれたら、成虫になっても目の敵だ。見つかったとたん追っかけられて、スリッパやなにかで、たたかれるか、殺虫剤でシューとひと吹きハイコロリ。

 どうですか、人間の方がいいでしょう? それに生きているうちにはいやなことも多いが「ああ、生きてて良かったと思えるようなことも時々はあるだろう。」(これは寅さんのせりふ)

 ただ人間は、人それぞれもって生まれた宿命があり、それを自覚できるから難しい。他人と比較して、何で自分だけこうなんだろう? もっとああだったらいいのに・・・こうだったら、ときりがない。上を見ればはるか上、やきもちが焼ける。下を見て私のほうがマシ、とはあまり思わない。欲張りだ。

 人生には限りがある・・・・最近そう感じることが多くなった。父をなくし、母をなくし、若くして亡くなった身近な人達との別れを見るにつけ、そう思わずにはいられない。この地で人生を過ごした父や母が見た山々を、私が引き継ぎ今見ている。もっと見たかっただろうその風景を今こうして見れるのは、多少の不満はあるだろうが、生きているから見れるのであって、自分の不利、不運、弱点など些細な事だ。

 もって生まれた運命、宿命を受け入れ、人間として生まれてきたことに感謝して、日々を過ごしたい。

                                          2001年 5月 3日 記





の中の流星群

 このタイトルは詩人「草野心平」の本の題名である。今から20年以上前に読んだ時以来、タイトルが頭から離れないでいる。詩人と交流のあった著名な人達が時の流れに従って、一人消え又一人消えていく。自分の目の前をあたかも、一瞬明るく輝いては消えてしまうあの流星のように・・・・そんな思いでつけたタイトルであろう。そして、その人達を数えると、それは流星群といって良いほどの数になってしまった・・・・美しくも寂しいタイトルである。

 当たり前のことだが、人間永遠には生きていけない。友人、家族を含めた大切な人たち、慣れ親しんだふるさとの懐かしい風景・・・その中で見た様々な生物、植物、昆虫たち・・変わらずにいてくれ!と叫んでも空しいばかりである。

 人間との永遠の別れも悲しいが、いつまでも変わらずにあるだろうと勝手に思いこんでいた風景が変わってしまう、それを見るのも辛いことだ。遠くから見れば緑一色に見える春夏の山々や山裾も一歩踏み込んでみれば、だいぶ変わってしまった。シノブ、ウチョウラン、イワマツの生えていた近くの岩山、エビネが生えていた雑木林、クマガイソウのあった山のお寺の参道脇、蝶で言えば榛名高原にあふれるほどいたゼフィルス類やコヒョウモンモドキなどのヒョウモン類、アカセセリ、ホシチャバネセセリなどのセセリ類、赤城山のゴマシジミもそれはそれはたくさん飛んでいた。私が小学生の頃の話である。・・・それらがやはり、ここ40年ばかりの間に次々と流星群のように私の中で輝いて、そして消えた。マニアによる過剰な採集、人間による大規模な開発、破壊だけでなく、生活様式の変化から雑木林や田畑など、人間の手が加わらなくなり荒廃した事も大きな原因だ。

 私にとって大切な人と同じように、それら自然の中の様々なものたちが一つづつ失われていく。長い年月をかけてその地に適応したものは、移植や放蝶を安易に試みてもけしてうまくはいかないだろう。種の混乱を引き起こすとも言われ、問題はそんな単純なものではない。

 失うは一瞬、再生は不可能か気の遠くなるような年月と費用を要するだろう。再生へのうまい方法はないのだろうか! 私にできることはこうして何度も愚痴をボソボソと書くことと、蝶や鳥や花
そしてそれらを育む自然の美しさを少しでも伝え、その貴重さや人間に与えてくれる安らぎの大切さを、これもボチボチと継続してホームページに載せること・・・そんな事で許していただきたい。

                                            2001年 4月23日 記


 
  ホシチャバネセセリ






今日も良き日

 朝、庭に出たらツマキチョウの雄が本来の元気さより控えめに?飛んでいる。これならとまる!・・・そう思い素早くカメラを取りに戻った。案の定、庭の隅のオオアラセイトウの花群にとまった。吸蜜でなく休憩だ。手持ちでパチパチと何枚か写した。

 久しぶりの手応えだ。このところ色彩の豊かなものは撮っていないので、ファインダーを覗いて見える明るい紫や緑色のボケ、ツマキチョウの黄色、そして、裏側の不思議な模様がとても新鮮だ。わくわくしながら何枚か撮ったら欲が出て来た。のんびりと、とまっているので三脚を使えばピントバッチリの最高の写真が撮れそうだ・・・なーんて思いまた三脚を取りに戻る。多少慌てながら取りつけ、高さはこれくらいが良いかな・・・角度はこれくらい・・・もっと近寄ったほうがいいなあ!・・・よーし写そう! そう思った瞬間逃げられてしまった。そして、ああ・・もっと手持ちで撮っておけば良かった。あんなにのんびりとまっていたのだから! 人間勝手なものである。

 それからが大変! 待っていると次々とツマキチョウが飛んでくる。もう一度チャンスを・・と追いかけるがいっこうにとまらない。少し気温が上がり本来の元気さを取り戻したツマキチョウはチョットやソットではとまってくれない。三脚に取り付けたカメラを担いで走り回ったがとうとうそれ以後は一度もとまってくれなかった。

 あきらめて、家の前の雑木山を見あげれば、コナラなど伸び始めたばかりの新芽が、やわらかにやさしく萌えたちはじめている。ところどころ山桜の薄ピンクがにじんでいて繊細なグラデーションだ。一人心の中で朝からこんな事している自分に幸せを感じた。

 庭の隅々まで見て回るのが楽しみな私が、次に見つけたのは紫の濃い「スミレ」だった。いろいろスミレには種類があるが、上になにもつかない葉の長い普通の「スミレ」だ。今日が一番美しい。にこにこしながら、いいなあ・・・と、ひとり思いながら何枚も写した。ウスバシロチョウ用のムラサキケマンが咲き始め、アケビの花も花粉袋から花粉がこぼれ出した。膨らみ始めたフジの蕾にルリシジミの雌が産卵にやってきた。この数日暖かく一機に庭周辺の色彩が変化した。4月のいま頃は明るい春に心も晴れる。さあ・・思ってもみなかったホームページを作って初めての「春」だぞ! 蝶、花、鳥、そして何でも、新たな気持ちで好きな自然を撮る事にしょう。

                                       2001年 4月 10日 記
 

     スミレ






むずかしい!


 ゴルフ場ができる。ダムができる。宅地開発で田畑、山林を壊す。・・・・私達自然を愛する人間にとって、いままでそこに出かければ必ず会えた蝶や花や植物達が突然ことごとく消えてしまう。これは言葉も失う大ショックだ。開発「断固反対」と大声を上げて叫びたい・・が・・・

 しかし、友達の多かった私には、仕事としてそれらと関わっている友人達にそんな仕事はやめてしまえ!と文句を言う事は出来ない。幼い頃からの友人がいろいろな仕事につき、ある人は土木関係の会社でダムを作り、またパワーショベルなど建設機器を作る会社で働いていたりする。それぞれの家庭にはその父親の帰りを待つ妻や子供や親もいる。昨年中学を卒業して35年振りの学年同窓会を開いた。久しぶりに会って話をすればそんな仕事についていても、昔と変わらず好い奴だったりする。そんな友人達だって、自然が壊れてうれしい筈はない。毎日その日その日の仕事を遂行する。その繰り返しの結果、山が無くなったり谷が埋まったり林が住宅になったりした。

 私が林道を車で走り、ミヤマカラスアゲハやアサギマダラに出会い良い写真が撮れたと喜ぶ。林道建設だって自然破壊を伴う。山奥まで入りやすくなったおかげで苦労せず会える蝶や花もある。車に乗って出かければ排気ガスが出る。私にだって大声上げて文句を言う資格がない

 結局人間が存在している限り残念であるが破壊は繰り返されるのだろう。諦めたわけではないが考えれば考えるほど難しい問題だ。

 近頃は子供達が自然と関わらなくなった。小さい頃から自然の中で遊び蝶や鳥や花たちと関わって育てば、少しは自分にとっての原風景を大切にする気持ちも生まれるだろう。しかし、身近な自然が無くなった今、遊べと言っても、親が連れて行かなくてはその自然もない。

 団塊の世代(正確には25年生まれなので入らない)と言われる私達は、まだ多くの自然が残る中で育った。学校への行きかえりにはメダカやトウキョウダルマガエルのいる用水路が田んぼに沿って流れていた。少し大きな川にはフナやハヤ、ナマズが棲み、秋の畦道や土手にはヒガンバナが列になって咲いていた。そんな恵まれた自然の中で育ったにもかかわらず、私達やその親たちが築いた今の世の中はこのようになってしまった。ほとんど自然に関わらず育っている今の子供達の時代は一体どんな世の中になるのだろう? 湿地のハンノキ林が無くなりミドリシジミと会えなくなる事を憂える・・・そんなこと考える子供が育つのだろうか?想像もつかない。またこんな話になってしまった。

                                         2001年 4月1日 記
 

  ミヤマカラスアゲハ





春が来た


 家の庭に咲く草花や木々の花を見ていると、季節の流れが手に取るようにわかる。セツブンソウ、フクジュソウも咲き終わり、今はカタクリやハルトラノオ、イカリソウが咲いている。ニリンソウは蕾が膨らんでいた。椿(ヤブツバキ、ワビスケ、カモホンナミ)、寒緋桜、ハクレンの花が競って赤やピンクや純白を誇示し、既に盛りを過ぎたサンシユやクロヤナギの花が色褪せ始める。カラスザンショの堅い芽が盛り上がり、ミズナラ、コナラの新芽も茶色に柔らかな色が加わり始めた。数日前に裏山から掘ってきた、とげとげのクロウメモドキに鮮やかなミドリの新芽が吹き、昨年植えたアワブキもひかえめな色の芽が伸び始めた。ギフ、ヒメギフ、アサマシジミのためのコシノカンアオイ、ウスバサイシン、ナンテンハギが土を持ち上げる。

 昨日は、去年産卵させた卵を庭のムラサキケマン畑?の脇に置きそのままにしておいたら、食草の根元でひなたぼっこしているウスバシロチョウの終令間近の幼虫を見つけた。穏やかな好天に浮かれテングチョウ、ミヤマセセリもやって来た。オオイヌフグリやホトケノザで速い春を知り、蝶たちが訪れるようになるといきなり春爛漫となる。雑木林の梢の連なりの、その色合いが日一日と変化する山萌える春がもう直やって来る。平地から山地へ、南から北へと・・・。

 暗いこの頃の人間社会の世相とは関係なしに今年も華やかな春がめぐって来た。
 
                                           2001年 3月25日 記

  
   テングチョウ





全滅


 家から4キロばかり離れたところに「堤谷」と書いて「つつみやつ」と読むごく小さい地域がある。小さな枝沢が一本流れ、下るに連れ次第に開けるいわゆる扇状地と呼ばれるどこにでもあるような場所だった。田んぼや畑を見ながら進むとやがて小さな湿地や沼が現れる。そこには柳が生え、ハンノキが生えイボタやアワブキもたくさん生えていた。クヌギの大木にはオオムラサキがやってきた。もちろん、ミドリシジミはいたし、スミナガシの幼虫が葉の先端を器用につなげて作ったカーテンが、行けばすぐ見つかる私にとって大事な場所だった。

 初夏になればサンコウチョウがやってきて「月・日・星・ホイホイホイ」と鳴き、沼にはカワセミが餌を採りにやってきた。冬枯れの草原にはイノコズチの実を求めてベニマシコがたくさん集まった。ここは私のお気に入りの周回コースだった。

 バブルがはじけゴルフ場建設も難しくなり始め、ここの場所に計画があるのは知っていたが中止になるものと思っていた。ところが、山の奥からブルトーザーやパワーショベルの音が響き出し、斜面を崩し始めた。少しずつ山の形が変わり出し、今まで谷だった所が山になった。イボタもアワブキもハンノキもすべてが埋まってしまった。会員権を買った方々は出来あがって一安心と思うが、私のような物好きにとっては、自分が生き埋めにされたような複雑な気分だ。

 ある冬の日、もうじきすべてが埋まってしまうだろうと思い堤谷に出かけた。私は何箇所かのエノキの根元からオオムラサキの越冬幼虫を探し家に持ちかえった。標本箱の中に何頭か堤谷の地名が書かれたオオムラサキがいる。そこで撮った蝶の写真や、雪の日苦労して撮ったベニマシコやカシラダカの写真もある。たまには標本や写真を出して眺めて見るが、心は落ち着かない。

 こうして随想を書いているが、どうも暗い話題が多くて困る。これからは少し明るい話題を探そう。さて、もうすぐ春ですねえ・・・・友人からいただいたクロミドリの卵が孵化予定日4/4?を待っている。

                                         2001年 3月20日 記

 
   スミナガシ




墜落


 足利から近くて山地に生息する蝶に会いたい場合、赤城山が最適だ。何度足を運んだ事か・・ゼフィルスの採集はもっぱらここだった。何度も登場するお話だが、キベリタテハの写真を身近な所で撮ろうとすればここ赤城山も候補地なので、シーズンには足しげく通った。足利の友人は行くたびに会うのだが、私は相性が悪いらしくほとんど空振りだった。その日もキベリタテハには会えず、小沼の周辺を何度も行ったり来たりしていた。蝶がダメなら植物がある、鳥もある。トモエシオガマ、ヤマトリカブト、ウメバチソウなどを撮影した。双眼鏡を首にぶら下げキョロキョロしながら歩く。

 その日は時おり小沼の上を雲が流れる微妙な天気だった。何気なく目をやれば一頭のキチョウが沼の上を対岸に向って飛んで行く。私は双眼鏡でその姿を追った。キチョウは沼の中心に向って飛んでいる。薄いベール状の雲が小沼の上を流れる。観察を続けるとだんだん高度が下がり、やがて湖面すれすれをやっと飛んでいる。そして、次の瞬間視界から消えた。

 蝶の羽根は太陽電池のようなもので、気温が低いと飛ぶ事が出来ない。この日は、まずまずの天気だったので、このキチョウも対岸を目指し飛んで行った。対岸に何が待っているというのだろう・・・ステキな雌がいる?たくさんの花が咲いている?・・・そんな事はわからない。だだ飛び始めたからには、むこう岸まで飛び続けねばならない。気温が下がる、でももう戻れない!ひたすら羽根を振るわせる。何だか哀れでみじめな気持ちになった。、

 私達人間も、「昔は良かった。・・・きれいな小川があちこち流れ、ホタルが飛び交い、山々は美しかった。空気も汚れてなかったし、人々はもっとやさしかった。貧しくとも心は豊かだった」と、多くの人が思うだろうが、その良かった昔には2度と戻れない。企業存続のため、自分や家族の生活のため飛び続けなければならない。このキチョウは寒さのため力尽きて、対岸にたどり着く前に墜落してしまったが・・・

 このキチョウもこちらの岸での生活に満足し、ジーとしていればこんな事にはならなかったのに・・・・でも気持ちはわかる。今に満足して新しい行動を起こさないでいるのも生きている意味が無いように思える。行動を起こせば当然リスクが伴う。このキチョウも人間も一寸先の事はわからない同じ運命のもとに生きている。難しい問題だが、一体、人間はどこまで飛び続ければ気がすむのだろうか?

 ギリシャ伝説「イカロスの墜落」では、親の命に反し、あまり高く飛び続けたため、ロウで出来た羽根がとけだし、エーゲ海に墜落した。・・・・

                                        2001年 3月17日 記
 

   キチョウ




ノアの方舟

 人類の将来を語る!・・・だいぶ大きなテーマで、期待され過ぎるとちょっと困るのだが、ジャコウアゲハの観察をしていて思った事を書いてみようと思う。随想2で一度ふれたことだが、ジャコウアゲハの幼虫が渡良瀬川の土手の斜面で年3〜4回発生を繰り返している。その土手は年にやはり3〜4回機械による大規模な草刈を行う。その時期や刈り始める場所や順序は年によって多少違うようだが、蝶の発生はだいたい時期が決まっている。(ただ産卵した卵を育ててみると、蛹化時期はほとんど同じだが、羽化の時期にはずれがある。かなりの数の幼虫を育てた事があるが、だいたい9割は同じ時期に羽化するがいつまでたっても羽化せず、とんでもない頃発生するものがある。これは、不慮の天変地異?に対する保険のようなものだと考えられる。遺伝子の情報に危機管理も含まれているのかと思うと生命の不思議さに驚かされる)

 話は戻って・・・渡良瀬川の土手をある時点で観察すると、成虫が何十頭も飛び交っていることもあれば、幼虫ばかり目立って成虫は見かけない時期も当然ながらある。終令幼虫ばかりの時は迫力がある。あのコンペイトウのような突起のある幼虫で発生地の斜面はあふれている。真冬の枯れた土手の草原と比べると、春から秋までの生物達の繁殖力にはすさまじいものを感じる。

 だがもう数日刈るのを待ってくれさえすれば、多くの幼虫が蛹化できるのに、容赦無くことごとく刈り取られてしまう。その後、刈りあとを観察すると、わずか2〜3センチ残った茎にあれだけいた幼虫のうちのごくごくわずかが・・・つまり、広大な土手のかなりの面積に数匹のみ、しがみついてその茎をかじりながら生き延びている。ほとんどの幼虫は機械の歯に切断されたか、切られて枯れたウマノスズクサでは食べる事も出来ず、あちこち、さ迷ってやがて餓死したと思われる。

 それでもまた春がめぐれば、幸運にも生き延び、どこかで発生した数匹の成虫が交尾・産卵をし、かろうじて太古からの循環を維持している。そのきわどいバランスがかえって良いのかもしれないが。・・・さて、多少話が飛躍するが、限られた食草しかない場合、幼虫の成長とともに食べる量も増え、ある時点ですべて食べ尽くしたとする。葉数にしてもう数十枚あればすべての幼虫が蛹化できるのに、わずかでも足りなければ一頭たりとも蝶になる事はできない。すべて死滅する。先ほど書いた土手の場合は、それでもわずかだが幸運な幼虫は羽化する事が出来た。

 この地球上の限られた資源(食的な資源・石油・鉱物など地下資源・環境的な資源など)をこのまま使い果たした場合、どうなるのだろうか?幸運な一部の人間が生き延び、また春がめぐるように再生するのだろうか?私は食草がわずか足らない事によってすべての幼虫が蛹化できず、そして蝶にもなれずやがて死滅するように、誰一人として生き延びる事はできないような気がするが、考え過ぎだろうか?
 ある場所に生えている食草の数には限度があり、そこで成虫まで生きられる幼虫の数にも限度がある。このままでは人間は増え続け、いろいろな資源は減少の一途を辿るだろう。環境も地球規模で悪化している。人間の英知も信じたいが、いったいどうなっていくのだろうか?・・・
 ノアの方舟に乗りたいとも思わないが!・・・

                                           2001年 3月10日 記


 
  ジャコウアゲハ




チョットいい話

 私のサイトにリンクしている「たぶの樹工房」のnakaoさんからメールが時々届く。nakaoさんはバタフライガーデンを楽しんでいる。nakaoさんに最近私が新設した「蝶9 特集 ジャコウアゲハ」を作った訳を以下のように書いてメールで送信した。

 「私の妻は養護学校の先生をしています。前に勤めていた養護学校は山に囲まれていて自然に恵まれていました。学校の考えで、鳥の巣箱を作ったり、貴重な植物(ミズアオイなど)を育てているので、私がバタフライガーデンをすすめ、いろいろなアドバイスを文章にして妻を通じて提案したおいた所、先日の2月23日に計画が実行に移されました。(妻が転勤して1年後)
 (私のレポートがどの程度参考になったかはわかりません。)

 当日は新聞社9社が取材に来たそうです。またNHKの7時前のニュースの中で紹介されました。特に、アゲハチョウ類を呼ぶために柑橘類中心に植樹をしたようです。「蝶の里」という看板がテレビに出ました。また私の随想を読んだ先生がジャコウアゲハに興味を示し、先日、先生方3人とウマノスズクサを掘りにでかけ、蛹も5〜6個見つけました。新しく、蝶9にジャコウアゲハのページを作ったのはそんな理由からでした。」
 
 その返事のメールには次のように書かれていた。
 
 「バタフライガーデンを提案して実行されて養護学校の心の純粋な生徒さん達も大変喜ばれたことと思います。これほど素晴らしい授業はないのでは有りませんか。私たち家族みなで、お手紙を読みました。そして皆で感動しました。とても良いお話です。 和樹君とジャコウアゲハの孵化や羽化の写真を見ながら今年は、ヤブガラシを大切に育てようと話したりしながら、ジャコウアゲハのページを楽しく見させていただきました。ウマノスズクサは毒草でジャコウアゲハにも毒があると言うことも子供は学びました。寄生蠅には少しも影響が無いのでしょうか?
子供と一緒に見られるホームページはとても有りがたいです。これからも私たちは、訪問して感動をいっぱいして帰ります。」
 
 多少自画自賛的ですがお許しください。もう一人、妻の友人からも、同じような内容のメールが届きました。一部分を紹介します。

「蝶と子供たちが一緒に育っていく様子を想像すると嬉しくなります。蝶を介して次々と他の生き物たちとのつながりができていくことでしょう。」
 
そして私は次のようなメールをnakaoさんに送った。

 「養護学校のバタフライガーデンはこれからが楽しみです。私はアドバイス役です。でも、あまり口出しし過ぎないようにしょうと思っています。子供たちが、いろいろ手探りで経験する事が、感動の元になると思います。先生と考え、失敗しながらやるのが良いと思います。」

                                          2001年 3月7日 記
 

  ジャコウアゲハ産卵





野山で会った生きものたち

 あちこち出かけていると、様々な生物に出会う。私は以前渓流釣りをしていた。今でも時々はテンカラ釣りと呼ばれる日本式の毛バリ釣りをする。岩魚や山女魚は夜朝け前や日没前の薄暗いうちが良く釣れるので、夜が明ける前に目的地に着くようにする。当然夜の林道を走ることになるが夜道にはたくさんの生物が現れる。タヌキ、キツネ、ウサギ、シカ、それから、鳥では、ヨタカが突然道路上から飛び立つ事がある。昼間でもテン、クマ、サル、リス、イタチ、などに出会う。

 あまり大きな川ではないが、近くに野上川という渓流がある。この川はすぐ上に道路があり入渓しやすい。ある日、その川の小さな堰堤の下で、上流に向って釣り糸を垂れていたら、どうも後ろで何か気配がする。川幅のせまい渓流での釣りはたいがい一人か、多くても二人ぐらいまでが限度だ。その日は一人で来ていたので誰か別の入渓者でもいるのかと思った。暗いうちに一人で川に降り、誰もまだ来ていないだろうと信じきっている時、突然人が現れるとビックリする。人間は恐い! 相手がどんな人かわかるまでは何よりも人間が恐い。山奥のうす暗い川の中で二人きり・・・・たいがいは、気の良い釣り人なのだが・・・。

 私は後ろを振り返った。と、同時にわずか数メートル後ろにいた黒い大きな生きものが、渓流のすぐ上を走る、道路までの斜面を一目散に駆け登った。・・・・・それは熊だった。私の後姿には驚かなかったのに、振り返った「顔」をみて驚いたとは失礼な熊だ!・・・ 襲われる事もあるのに、熊の方から先に逃げてくれるとはラッキーだった。何故逃げたのか理由は今もわからない?(私は恐い顔はしておりません) 帰りは道路に出るのが恐くて、しばらくの間、川の中をバシャバシャと歩いて下った。林道工事現場にいた年配のおばさんに「熊が出た」と話すと涼しい顔で「良く出るよ」・・・・だって。

 もう一つは、美しいテンに出会った話。早春の南会津の渓流は解禁当初でも、そうとうな残雪がある。車が入る最終人家付近に車を置き、雪の残った林道を輪カンジキを履き、一時間以上歩く。そんな奥まで、まだ釣人は入っていないだろうからたくさん釣れる・・・そう釣り仲間が言う。この時期は初めてだった。まだ暗い明け方近くの道を歩いていると、トラツグミの怪しく寂しげな鳴き声が聞こえる。「八ッ墓村」という映画の中に出てきた「ヌエ」という鳥がトラツグミだ。「ヌエの鳴く夜は・・・」という怖いイメージの言葉が使われていた。

 目的地に着きさっそく、仲間と打ち合わせをして各自思い思いのポイントを探す。私は一人巨大な堰堤近くまで釣りあがった。ふと右側の真っ白な雪の上を見れば金色の動物がゆっくり横切っている。・・・テンだ。・・・冬のフサフサとした金色の毛が、山の端から顔を出し始めた斜めの光を受け輝いている。テンは驚いた様子もなく歩いて行く。私はしばらくの間、その美しいテンの姿に見とれていた。冬枯れの木々と白い雪・・・色数の少ない冬の雪原に一点だけ金色が現れたのだから、それはそれは美しい光景であった。
                                          2001年 3月5日 記
 

     トラツグミ




峠付近

 家から近くの林道を峠付近まで登るとミズナラが現れる。足利は小高い山はたくさんあるが、山地と呼ぶような1000メートルを越す山は1つも無い。一番高い山でも663メートルしかない。(仙人ヶ岳) 以前、「OO峠付近でダイセンシジミの卵が確認された」と地元の研究家が出版した本に書かれているのを読んだことがあった。私も何年間か探した事がある。斜面を駆け登り長い網でミズナラの葉を叩きまわった。ウラクロシジミ、オオミドリシジミ、アカシジミ、ミズイロオナガシジミ、ウスイロオナガシジミ、ウラキンシジミ等は出てくるが、ダイセンシジミはとうとう1頭も見つからなかった。

 もう一つの峠でも同じ蝶が確認できたが、ダイセンシジミはやはり見つからなかった。それでも、この峠の前後には多くの蝶が棲んでいて、私のお気に入りのコースだった。ウスイロオナガシジミが羽根を広げてくれたのも(蝶5参照)この峠の低いミズナラの木だった。峠を下ると湿地がありハンノキの林があった。そこには、ミドリシジミが大量に発生していて、いくらでも採集できたし写真も撮れた。卵だって幹にびっしり産んであり、たやすく見つける事が出来た。しかし、年々人の手が加わり貴重なハンノキ林はことごとく切られ埋め立てられてしまった。

 初夏の夕方、見上れば、キラキラと輝きながら飛び交う無数のミドリシジミが見られたが、今はもう記憶の中でしか存在しない。どこの林道周辺も無残だ。ゴミが所かまわず捨てられているし、奥へ奥へと人が進出し、もともとあった雑木林を切り倒し、埋め立て、切った穴埋めに?あちこちソメイヨシノ等を植えている。「何か勘違いしている!」山には自生の山桜が似合うしクヌギやコナラ・ミズナラの林の方がよほど美しい・・・木にはその木にふさわしい場所がある。林道の縁や、沢の奥にソメイヨシノを植えたって不自然なだけだ。出かけて見るたびに気が重い。それでも峠の向こうには、なにか良い出会いが待っているような気がして、今でも年に何回かは出かけている

                                        2001年 2月26日 記

 
  ミズイロオナガシジミ




名前のおぼえ方?


 私と一緒に山に登った仲間は、稜線をたどりながら出会う高山植物の名前を、耳にたこが出来るほど何回も教えられ迷惑したかもしれないが、そのうちにけっこう覚えてくれるようになった。どのように覚えたら良いのか教えて欲しい・・・と聞かれることがある。私が完璧に知っているはずもないので、名前のおぼえ方としてここに書くのはおこがましいが、私なりに考え、行きついた答えは、・・・・・

 まず、名前を気にしないでよく見ること。植物ならその花ばかり見ないで、咲いている環境を含めて記憶しておく。たとえばそこが草原か、湿原か、雪渓の縁、樹林の下、ガラガラした石ばかりのところなのか・・・それから大まかな高さ(標高)、その他目立つ特徴・・・花の形、色、葉の形、・・・そんなところを見ておく。とりあえず、のんびりよく見ておけば次回の登山の折、同じような花に再び会った時や、図鑑や写真で似たような花を見た時「ああ、これだあ・・・」と自分から気づく。図鑑片手に次々に出会った植物をその場で本と比較して、ああだこうだと言いながら覚えようとしても難しい。一夜漬けの受験勉強ではないのだから・・・

 私はこのホームページに撮影場所や日付など詳しいデーターは書かなかった。このところ何人かの方にリンクしていただき、私の交流範囲もおかげさまでだいぶ広がった。メールでのやり取りもするようになった。ある方から、データーがないと学術的な価値がないのでは・・という忠告をいただいた。またある方からは、「記録」として大まかなことは書いても良いのでは・・・という意見もいただいた。言われれば確かにそう思えるが、まだ考え中で今後どうするかの答えは出ていない。

 詳しいデーターを見た人がそれを頼りに採集に行く。珍しい蝶や、生息域が限定されている場合、確かに無駄がなく出会える確率も高い。でも子供のころ(主に中学生の頃)は、あまり正確な知識も無いので、里の道をあちこちキョロキョロ見ながらはるばる歩いた。往復40キロも自転車に捕虫網をくくりつけ、ウスバシロチョウに会いたくて渓流沿いの山道(もちろん無舗装)を辿ったこともある。また、夕方のみ飛ぶウラクロシジミ採りたさに、遠くまで出かけ帰りが暗くなったことを覚えている。そんな思いをして採った一頭の蝶は大切だ。不思議なアゲハチョウであるウスバシロチョウ・・・キラキラ輝きながら夕暮れ時の梢上を飛んで雌を探す、ウラクロシジミの姿は今も目に焼き付いている。

 早く大人になれればなあ・・・バイクにでも乗ってこんなに苦労しなくても山にすぐこられるのに・・・とも思ったが、採集しながら見た道端に咲くイチリンソウの花や、ニリンソウの群落、黄色いヤマブキソウ、数々の野鳥や、出会った親切なおばさん(暗くなった山の帰りに自転車ごと車の荷台に載せてくれた。)のことなど・・・歩かなければ出会わなかった様々な生物、植物、そして人間がいる。

 よく見るということは、何回も出かけてのんびりよく見ることだ。目的の蝶に最短時間、最短距離で出会う事が必ずしも幸せとは限らない。たとえ収集した蝶の種類がすくなくとも、思い出が豊富な方が私は好きだ。苦労してやっと見つけた蝶は思い出深い。いくらがんばってもすべて集めるには限界がある。私は狭い守備範囲の中で撮影している。それでも遠くへ行きたくなることも、もちろんある。時々は友人達と出かける。珍しく今までに見た事も無い蝶に出会えば、心ときめくのは誰しも同じことだと思う。人様々だから、どのような考えも否定はしない。そうそう、だいぶ話しがそれたが、今日のタイトルは名前のおぼえ方だった。・・・何回も出かけ、よく見ておけば名前はあとからついてくる。こんなところが結論か?

                                       2001年 2月16日 記

 
  
 ウラクロシジミ


                             
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